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第四十九回: 歴代家元に聴きたいこと

 花を活ければ活けるほど、教えれば教えるほど分からなくなることが多い。頭でわかっていたことが教える段階で形になっておらず、伝えることができない。また信じ込んでいたことと、教科書の記載がちがったりする。日常の忙しさにかまけて心の中心部分に打ちたてた思いを見失うこともある。


 こんなとき歴代家元ならばどうしたのだろうと、考えてしまう。 私はまだまだ未熟で、それゆえ皆さんとともに上達してゆく過程をたのしみたいと感じている。あわてても仕方ない。少しずつ休まずに精進していくつもりだ。 私は人生を鉄道旅行のつもりでいる。初心者発⇒名人行きの各駅停車の旅だ。上達する過程で色々なことを学び、それが嬉しくてみなさんに伝える。技ができるようになるとまた披露する。私とともに桂古流の風景を楽しんでくれる人が同じ列車に乗っている。上達の途中で気づいたことはその場で話すのが一番心に響く、と思う。旅を全部経験した人が途中の景色を話すより、今その景色の中にいる人の言葉のほうが心を打つと思うのだ。


 ただし私が運転手になってから、この列車はたびたび停まる。行先が分からなくなる。そんな時、前に桂古流号を運転した人はどのように乗り越えていったのだろうと考えてしまう。


 厳しい峠を登るとき、仲間と力を合わせたのか、それとも一人で黙々と頑張ったのか。近代的な列車がそばを走り始めた時、どうやって人気を維持したのか。そして次の運転手をどのように指導し、立場をゆずったのか。 運転手は聞きたくても聞くことができない。もう前の運転手はいないからだ。 自分はいま力任せに勉強し、力任せに進んでいる。やみくもに努力しているうちに何か見えてくるだろうと悠長にかまえている。このお稽古方法は自分には合っているけれど正しいとは思わない。


 作品制作にしても同じである。自分の活け方は自分の体に合った活け方で万人向きとは思わない。腕力に自信のない人にはつらいため方もあるし、理屈にあわないこともある。 だから前の運転手に本当に正しいやり方はこれで良かったのか、もっと良い方法があったのか、昔の資料に書いてある内容に対して自分はこう考えるがどう思うか、など聞きたいことは山ほどある。私が資料を持っていって質問したら歴代運転手の間でも考え方がちがって喧嘩がおきそうである。


 今までの家元に聞くことができないならばせめて制作現場を見てみたい。今の自分ならば活けるとこはできないけれど、三代目の葉蘭の百枚活けをみれば理解はできそうだし、祖父のエニシダの立ち活けもコツを学べそうだ。そしてずうずうしいようだけれどこれを継承して次代に伝えるのは私しかいないという自負もある。


 司馬懿仲達がいまわの際に「あの世で(敵であった)諸葛孔明にいろいろと教えてもらおう」といったというエピソードがあるが、その気持ちはとてもよく分かる。私もこの世はこの世で楽しいが、あの世はあの世で楽しいような気がする。祖父にも本格的に立ち活けを習いたいし、祖母のアラレもまた食べたい。三代目や五代目にも稽古をつけてもらいたいし、淑子内親王の御前にもいけてみたい。


 いまはこの世でやらなくてはならないことが沢山あるので、 片っぱしからこなすしかないが、日々の暮らしの中で歴代家元への質問はとりあえず書きためておいておこう。何十年かしてこの世での仕事が一区切り付いたら、あの世で本格的に桂古流のお稽古をはじめるのだ。

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