第五十一回: 直感
私は占いに興味がない。多分母親が占いだ、方角だと言っているせいだ。またそういう母親に対して「うるさい、いいかげんにしろ」と叱っていた父の影響か。
どちらにしろ私には縁遠い世界である。
その一方で、私は直感を信じる方である。それが詰まらぬものであれ、人生に関わるものであれ 、疑わず行動する。 直感は理論的に説明できないけれど、 私自身からでてきた答えだ。私の一番そばにいるのは私である。私自身をいつも見つめ、何を考えているか知っていて、一緒に生活しているのは私である。だから私の人生が今までどうなってきたか知っているのも私ならば、おおよその未来が見当つくのも私だ、と思う。
直感を信じるのは思春期から社会人にかけて私の中で形成された。だからかなり強固だとおもう。
占いとかクジは自分自身を知るために行うように感じる。私は自分自身のことを祈ろうとは思わない。
私は神様や仏様が水を取り替えるときお参りする。家族やお弟子さんや桂古流や学院・財団のことはお願いする。けれど私のことは祈らない。私のことは私自身で片をつけなくてはならない。そういう漠とした想いが心をとらえている。かっこつけでなく、諦めににている。
さて直感である。直感はどんなふうにできるか、その過程を見ていく。まず何となくぼんやりしたイメージが湧く。
たとえをつかって説明してみよう。駅前で街を行く人のファッションが気になる。何となくまとまりのない時代だという気がする。これってブランドがどこも本気でブームを作ろうとしていないだけじゃないか。もう諦めているだけじゃないか。逆にこういう時代に一人の天才が出やすい状態じゃないのか…直感!!間もなくファッションに一大革命がおこる。こんな具合だ。これは言葉で書くと非常におバカさんな思考回路にきこえてしまう。まあ仕方ない。多分言葉にならない経験や知識や誰かとの会話の記憶とか、そういうさまつなものが電子レンジの中で加熱する分子のようになり「チーン」と直感がくる。
私の直感だが肝心の命中率はひくい。ほとんど当たらない。でも当たっても当たらなくてもかまわない。 自分の中から出てきたものは何でもかわいいものである。 そんなわけで信じる。たまに自分に関係したものがでてくる。直感を意識しているのは楽しい。
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