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第五十二回: 酒席の失敗

 幼い時、大人が千鳥足で歩いていると、まじまじ見てしまうクセがあった。どうすればああなってしまうのか不思議だった。人事不省になっている人を私は軽蔑してきた。大人が子供よりだらしなくなっているなんてありえなかった。


 父もひどい酔い方をした。いつも怖い顔をしている父が酒席でした。失敗ときは情けなかった。応援している議員の当選祝いに呼ばれ、すっかり酔った父は相手に酒を注ごうとし、焼けた鉄板に手をついた。 次の日しかめ面している父を「この人はアホかもしれない」とおもい、親近感をもった。注ごうとした相手は大臣経験のある議員だった。さぞ驚いたことだろう。


 そのDNAが私の中にも流れていることを忘れていた。この前とうとう失敗してしまった。実は以前から予兆はあった。10月末、神戸に行った時も途中から記憶がなかった。気づいた時は明け方4時過ぎだった。夜中の4時間ぐらい何をしていたか分からないが、周りに迷惑はかけなかったらしい。その時はそれで済んだ。


 その後も休みがなかなかとれず、12月初旬をむかえた。寝不足で風邪気味だったこともあるが、悪酔いするほどひどくなかった。評議員の会議が終わり京都駅の居酒屋に入ったのが昼の2時近くだった。ビールの次に日本酒にきりかえた。酔いどめ薬をのまなければと思いつつ、理事の先生がくるのを待った。そこで記憶はプツリと途切れた。気持ち悪くて叫んでいる自身にハタと気づいたのが夜の9時くらいだった。目の前に華道遠州の芦田御家元先生と芦田一春先生、都未生流の大津御家元先生と大津智永先生、京都未生流の松本御家元先生、未生流庵家の佐伯浩甫先生と関西を代表する先生方が私の顔をのぞいていた。関東では龍生派の吉村華洲先生、広山流の岡田広山先生、なんと仙台の西村一紗先生も電車の時間ギリギリまでいて下さった。


 松本先生や佐伯先生、大津智永先生に担がれてホテルにはこばれた。宿泊費は大津御家元先生が、宴席代は芦田御家元先生が支払ってくれたそうだ。多分みんなで服をぬがしてくれた。背広・ズボン・コート・ワイシャツはハンガーにかかっていた。松本先生と佐伯先生が私の家内に電話してくれて、下げなくてよい頭を下げて謝ってくれた。私が気兼ねしないよう部屋に皆さんがあつまってワイワイ騒いでくれた。常に笑い声が聞こえ 、松本先生はそばで、吐く私の面倒を見つづけてくれた。


 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。早朝はいざらに残された大量のすいがらを見て、どれほどの先生がどのくらい心配で部屋にいてくれたのか痛感した。すいがらの1本1本に情けを感じた。


 家族には帰ってからあやまることができる。でもこの先生方にはどうお詫びすれば良いのか途方に暮れた。 自宅に着いて家内に叱られた。あたたかい怒鳴り声だった。心配してくれた裏返しだった。その後だまって松本先生のメールを見せられた。「…新藤先生が酔いつぶれたのは変な言い方ですが、こっちの連中はみんな新藤さんのことが好きで、仲間である信頼の証しみたいなものととらえていただければ…」とあった。それに対し家内は「…先生方がいてくださったので心強かったです。主人も関西の先生方が大好きなのでとても楽しく気がゆるんだのだと思います…」と送ってあった。泣けた。こんな私のことを好きで、大事に思ってくれる人々にこんなにも迷惑をかけてしまった。ただ、ただ、申し訳なかった。


 家族に多くの仲間にどれほど気を遣わせてしまったことか。それを笑い話に変えてくれる関西の優しさ。 私は失敗した人に本当の意味で付き合ってあげたことがどこまであるか。通り一遍の薄っぺらい私を反省させられるできごとだった。

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