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第五十三回: 私たちが仙台でしたこと

 いま私は44歳だ。その私にできることはなんだろう。昨年の震災そして津波以降、ひんぱんに考えるようになった。 寄付は経済的に限界があるようにおもう。 また現地での肉遺体労働は時間に追われている身としてはかなり厳しい。 常日ごろ「人助けをしなさい」と子供たちに言っている自身を振り返ったとき、情けない役立たずの中年男がいた。


 それからいろいろ考えた。福島から加須にやってきた人々にいけばなを見せに行きたいと思った。しかし加須市役所から「ボランティア登録してください。ただいまボランティアは十分間に合っています」 とことわられた。


 いけばなってこんなに非力なのか。とてつもなく悔しかった。スポーツ選手・俳優・歌手・・・みんな東北の地で活躍していた。一般人もたくさん東北へ向かった。 なのにいけばな作家は、華道家は、家元は、 目立った動きをしなかった。私も含めて安全で安心な東京にしがみついてヌクヌクしていた。私はそこに人の業というか、いやらしい無関心をかいま見た。自分が幸せなら、健康ならそれでいい。東北の人々を可哀そうに思うけれど、わざわざ行く必要なんてない。そういう老化した怠惰な心が44歳の私にもはびこっていた。


 夏、仙台の西村一紗先生に会った。1500万円の損害を受けていた。 友人の被害に絶句していると一紗さんはポツリと「家族や住宅を失った人がたくさんいるんです。それに比べればお金で元に戻るなんて幸せじゃないですか」といった。その時、因循だった私の中に火が付いた。その火はまず私自身への怒りとなった。 「私は何をボウッとしているんだ」という突き上げる思いは「このままじゃいけない」という情熱に変わった。この情熱をどう形にするか。さして若くない私にできることは何か。 モヤモヤを抱えたまま日が過ぎた。まもなく秋になるというとき、ダメもとで金沢のとき一緒に過ごした仲間に打ち明けた。 私だけじゃない、モヤモヤを抱えた仲間はきっといる。 そう信じて。


 秋の展覧会シーズンがはじまる時期、 声をかけた仲間は、二つ返事で参加してくれた。交通費・製作費すべて自分持ちだった。 開催日も 12月15日の1日限りという厳しい条件だった。しかしみんな喜んで、むしろ待っていたと言わんばかりに飛付いてきてくれた。 うれしかった。うれしいという言葉では伝えられないほどだった。関東で7人がそろった。 一紗さんに伝えた。一紗さんも喜んでくれた。


 そこから手探りの作業が始まった。デザインを担当する係、資材の保管・運搬を手配する係、報道の係、印刷の係、舞台の係、現地での宿泊手配の係など全員が主催者として動き出した。仙台も黙っていなかった。若手3人をあつめ、会場・後援・装飾など現地できめ細かい打合せと作業を推し進めてくれた。今まで味わったことのない強固な団結力がうまれた。トラブルが起きるたびに誰かが率先して解決していった。「このままじゃいけない」はいつしか「絶対成功させてやる」という決意でつながった。私は若くはない、けれどふけこむにはまだ早い。


 桂古流ではお弟子さんも大勢仙台へ来ることになった。家内を中心に、そろいのエプロンまで急きょ作ってくることになった。


 そして美しい、本当に美しい巨大なリースが出来上がった。 このリースがもっとも美しいのは作っている途中だった。 家族・流派・仲間・取引先そして初めて会った人たち。その人たちと手をたずさえて、 一つの目標に向かっていく尊さ。参加した誰もが、 幸せをかみしめていた。


 今回仙台で実現したことは偶然がきっかけかもしれない。けれど参加した人の華道人生を大きく変えていく力があったと思う。いけばなは非力じゃない。 こんなに大きな力を持っている。私たちの花は東北に多くの笑顔を届けられた。


 「クリスマスいけばなin仙台」、このイベントは多くの華道家によって永遠に語り継がれていくだろう。大げさでなくそれほど大きな力を持った展覧会だった。


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