第五十五回: らくがき
最近みないものに、らくがきがある。道端で一心不乱にロウセキや白墨で描いている子供をみない。
私が子供のころから、忙しい友達は英会話・ピアノ・スイミングに通っていた。
考えたいのは外遊びの変化である。「外遊び」は「スポーツ」と同義語ではない。遊びには「いたずら心」
がひそんでいなくてはならない。スポーツの公明正大さは、あそびとは違う。だから外で遊ぼうというグループにサッカーをする子がいる一方、動きたくないけれど外遊びが好きという子があつまっていた。
階段にドロ団子を延々ならべる子、落ち葉をふくろ一杯につめてベランダから下に撒く子、おとし穴をほる
子、虫をみつけて女の先生にくっつける子、排水溝をせき止める子、ダンボールで秘密基地をつくる子…いま思い出しても現代美術の発想につながるものがないこともない。私がいける前に図を描いたりするのがすきなのは、らくがきをしていたせいかもしれない。
らくがきで大事なことは「ワクワク」が存在することだ。子供たちのいたずらにはワクワクがある。
夢中になるとワクワクは無限に広がっていく。ワクワクを摘み取るのは大人の都合で、
やがてワクワクをわすれた子供は大人になる。
私は今の子供たちにもらくがきのワクワクを味わってほしい。ケンケンパや○×や似顔絵などをおもいきり
描くたのしさは、ぜひ残すべきだ。
私のようにエスカレートして他人の屋内の白壁にラッカースプレーでらくがきしたり、銀行の壁におおきなウ
ンチの絵を描いて叱られたり親の家具にフィンガーファイブの歌詞をかいたりするのはいかがかとは思うが、
ホウキの柄の部分で校庭に大きならくがきをした時の気持ちよさといったら!
また、らくがきの妙はスピードとの勝負でもある。大人のこないうち、見つからないうちに完成させなくてはならない。
一方でやったのは私だと見せつけたい。結果「コラア!」という大人の怒った声を聞きながら逃げていくのが
ベストということになる。親や先生に叱られるのも、まあまあスリルがあったが、近所で一番おそろしかったのは、
国鉄のカミナリジジイだった。
小学生のころ、保線区の職員休憩所が近所にあった。太い桜の木がしげり芝生は気持ちよく刈られ、築山があり
大きな池があって立派な鯉が泳いでいて、それはそれは見事なものだった。しかし子供が入ろうものなら「何しているんだ!」と
カミナリジジイが飛び出してきた。カミナリジジイはここの責任者らしかった。そのころでも50は過ぎていたのではないか。
頭のてっぺんはテラテラにはげていて、わきにチリチリの白髪がしがみついていた。赤銅色の顔には鋭い眼が光っていた。
私たちのそばまで来ると「危ないから向こうにいけ」と怒鳴った。その横で休憩中の職員がキャッチボールしているのに。
可愛げのない子供だった私は「遊んでいるところを見られたくないんだ」というと「何だとっ」と文字通り額に血管をうきあがらせて追いかけてきた。
私たちは怖くて必死に逃げた。ジジイは本気で追いかけてきた。つかまったこともある。2,3回うちにどなりこんできたこともあった気がする。
ある時期、電車がらくがきされて走っていた。いま考えれば国鉄の労組の活動だったのだろうが、私には美的センスのないらくがきに感じられた。
きれいな車体を何できたなくしているのか不思議だった。私たち子供にやらせたほうがよっぽど上手に描くのにと思った。
いつものように休憩所に行きブロック塀にらくがきしていた。カミナリジジイがまたでてきて「誰がそのらくがきを消すと思っているんだ!」と怒鳴った。
その日は全員、うまく逃げおおせたので、私は「自分たちだって電車にらくがきしているくせに」と言ってやった。ジジイが真っ赤になって追いかけてくると思って
ドキドキワクワク待っていると「まったく悲しいことだ」といいながら引き返していってしまった。こころなしかさみしそうだった。
カミナリジジイの記憶はそこでふつりと切れている。
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