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第五十六回: はだかの自分

4月、新しい季節とともに新生活に若者が飛び出してゆく。大学生になった時、社会人になった時と2度、何ともいえずウキウキした気分を味わった。鳥の巣立ちのようなすべてを取っ払ったような自由だった。


私は「過保護」といわれて育った。自身ではそれほど過保護とも思わなかったが昔の世代では過保護なのだろう。今思えば高校まで祖父母の愛情の真綿に二重にも三重にもくるまって育った。
その分大学では過保護の枠から放り出される事態が多発した。自由が増えた分、自分が「ただの大学生」として扱われることは心地よい痛みも伴った。金を貸して踏み倒すヤツが世の中に本当にいるのを知ったのも大学生の頃だ。同級生に幹事を任せたコンパで、なんか料理がショボいと思ったら会費の4割ピンはねしていた。逆に私が幹事を任された時は、コース以外の料理をたのむヤツが現れたり。大人になってからはこの手の対処方法は覚えたが、最初は面食らった。

アルバイトもよくやった。ライトパブリシティという広告製作会社のアルバイトは厳しかった。就職したかったから我慢したが、40日間休みなして働かされ疲労でぶっ倒れるまでこき使われた。まさしく使い捨ての目に遭い伊勢丹に「避難」するように就職した。


こういう目に遭ってどうだったかと思うと、これが大していやな思い出でもない。なんというか世の中をたくましく(という表現があたっているかどうかわからないが)生きていく人との関わりはこちらも強くするように感じる。 ゲゲゲの鬼太郎にねずみ男がいなくてはつまらないようなものだ。痛い目に遭うのは面白くないけれど欲望に素直な人々はある意味うらやましい。

作家の丸谷才一がエッセイで小佐野賢治は嫌いじゃないと書いていた。事業欲に正直で人を切らずに会社を再生していく。その手段として政商として暗躍することもあったろうし、情報を早く得るために約束を破ることもあったろう。けれど巨大財閥を出し抜くためには多少アコギなことは必要だったと思う。私は同世代の経済犯ホリエモンに対してもそれほど糾弾する気になれない。似ているせいもあるけれど、彼は彼自身という素材を使ってあそこまでのし上がったのだ。称えられこそすれ、けなす気になれない。


私自身、家元の家でなく、何も頼りに出来ない環境に生まれ育ったらどうしただろう。はだかの自分だったらどんな人生なのだろう。もっといけばなを努力しただろうか。それともまったく興味を抱かず別の仕事に就いていただろうか。 フレッシュマンの襟を急に引き締める冷たい風がふく。春の花木に囲まれながら私は花曇りのようなモヤモヤした気分で活けていた。


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