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第六十二回: 修理か買い替えか

 むかし読んだプロ野球の本に長嶋と王の比較が記されていた。二人のグローブに対する接し方の項目があった。長嶋は気に入ったグローブがあるとパッと買う。一度にまとめていくつも買う。それに対し王は気に入ったグローブを何度も修理し手入れをして使い込むという。記憶もあいまいだし書籍名も正確には覚えていない。ただエピソードとしてはいかにもその人柄がにじみでている。

  写真学科だった私は、カメラなどの必要機材をそろえなくてはならなかったので、非常に金がかかった。フィルムで撮影する一眼レフカメラは、昭和60年当時、カメラ本体が20万円、レンズが5万円くらいだった。学費の上に親に出してもらうのが心苦しかったおぼえがある。だからレンズも念入りに手入れし、移動は必ずカメラバッグに入れた。それでも壊れるときは壊れる。

 動かなくなったカメラを抱えて、ゆううつな気分でむかうのはお客様サービスカウンターである。フォトギャラリーの奥に設置されたカウンターに行くと、受付嬢がにこやかに伝票を書いてくれる。こちらが生意気に専門的なことを言い出すと「少々お待ち下さい」とあわてて事務所に消える。するといかにも修理の専門家といった白髪交じりの男性がでてくる。修理にしか訪れない私は受付嬢の存在意義がわからず「最初からこの男性がいればいいのに」と感じた。今思い出すと受付嬢は新型のカメラの性能を客に伝え、時には即席のモデルにもなっていた。販売促進には欠かせない存在だったのだろう。受付嬢は私のことを「なによ小難しいこと言って。壊れたなら新しいの買いなさいよ」と思ったかもしれない。

 話が脱線した。
 修理専門の社員は、ビロードばりの台にカメラをのせ修理する所を丁寧にみてくれる。まるで患者さんを診る医師のようだ。私も患者の家族のように「直りますか」などと聞いてしまう。修理に出すと基本料だけで5000円、部品代が5000円くらいかかった。ただし軽微な調整は、その社員がその場でやってくれた。ほそいドライバーで調整し、圧縮空気で清浄しレンズも磨いてくれた。もちろん無料である。社員にすれば学生がプロカメラマンになった時にそなえ先行投資もあったのだろう。決して軽んぜずドアまで送ってくれて「どうぞまた何なりとお申し付けください」といわれると非常に気持ち良かったものである。

 いま、このコラムを書くのに万年筆をつかっている。マイスターシュテックのなめらかな書き味を楽しんでいる。万年筆もペン先から落としたりすると修理のお世話になることがある。父の遺品の中にはインクがにじみ出てしまうものがある。どこで修理するのか迷っているとメーカーのホームページに「全国の取り扱い百貨店でどうぞ」とある。いまどきそんな悠長なサービスやっているのか疑問に感じ問い合わせると、できるという。イセタンに修理に持っていくと当たり前に修理伝票を作成し、修理に出してくれた。1ヶ月ほどでできあがった。修理代は1000円だった。
  万年筆は高級品だったころ百貨店と提携することで全国に販路を広げていったのだろう。百貨店も万年筆を数多く取り扱うことで店舗の品格を高めていった。消費者も万年筆の修理を安心でまかせるとなれば百貨店にもっていく。万年筆の文具売り場にいけば、ほかの万年筆にも目にうつり…と三者が全て得をするシステムなのだろう。高度経済成長のころなのか戦前なのか非常によくできたサービスだと思う。


 いけばなの道具も修理するものと買い替えるものにわかれる。ノコギリはすぐ買い替える。目たてをするより替刃タイプのノコギリを使う。古い刃はつかわない。幹に刃が立たなくて横
すべりし、指を切ったらおおごとである。
 ガラス器もヒビが入れば私はすてる。父が大ケガしているので気づいた段階で処分する。
他にもけがするのが可能性のあるものは容赦なく捨てる。

  一方ハサミは研ぎに出す。国治(クニハル)はもっとも高価ですばらしい切れ味の花鋏のブランドだ。祖父のが10丁、父のが10丁あるので、私は生涯、鋏には困らないだろう。日頃からゴミ取りと油さしは欠かせない。祖父は砥石で、父はサンドペーパーで刃のゴミを取っていた。私はホームセンターのさび取り消しゴムを使う。国治の刃は柔らかいので、床に落とすと刃先がつぶれる。無理に力を入れて切ろうとすると軸が曲がる。そうするとハサミは修理に出す。修理代は3500円くらいだ。それでも2回しか刃研ぎは出せない。刃がやせてしまうともう枝は切れないからだ。

 竹筒の中のオトシも穴が開く。すると水がもれてしまうので修理に出す。昔は近所に鋳掛屋(イカケヤ)があり、オトシとかヤカンの穴のあいたものを持っていった。最近また修理お願いできる工場を紹介いただいたので、捨てずにすんでいる。竹筒の竹の部分が乾燥でひび割れてしまうことがある。これも修理できる。ゴマダケやススダケの切れ端を、裂け目に合わせてはめこむ。柄の違う竹を景色としてたのしむ。やってみると思いのほかたのしい。
 蛇の目剣山の剣山が外れて迷子になってしまうことがある。教場ではとうとう迷子の蛇の目と剣山が10組になってしまった。チグハグの靴下を見ているようで腹が立ったので知り合いの製作所にたのんで大きめの剣山を蛇の目のサイズにピッタリになるように削ってもらった。元通りになるとまた仲間がそろったようで嬉しい。


  ただ高い器を買うだけでない、こういうリペア技術を伝えていくのもいけばなの大事な柱だと思う。自ら手を加え、驚くべき器や花留を作り上げる名人がいる。その手の名もなき華道家をみるとターシャ・テューダーと重なる。






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