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第六十五回 うちの幹部


 私の頭はインクの固まりやすいペンのようだ。しばらく使わないとなかなか出てこない。今、このコラムは繁忙期の合間を縫って書いている。


 いけばな展のピークでもあり、税理士の先生に出す会計書類の総まとめの最中であり、県庁に催促される次年度事業予定に追いかけられている時だ。花と書類に囲まれている。
こういう時に「さて、コラムを」とペンをとっても「……。」と何も浮かんでこない。テレビの試験放送のようにピーッて感じである。あせっているので、頭のあちら側のエピソードをかきまわし、こちら側の思い出をしぼりだす。

  この時期いつも同じ目に遭うのだから少しは学習すればよいものを、毎年懲りずに繰り返している。



  それでもこのコラムが続いているのは、私の周りで楽しいことがひんぱんに起こり、すかさずコラムにしているからに他ならない。
 家族はいうに及ばず、歴代家元、取引先、他流の先生、地元の仲間など申し訳ないくらい無許可でネタにさせて頂いている。
 特にお弟子さんからの情報は貴重だ。このコラムはいけばな関係の人が見て下さることが多い。それゆえいろいろな立場のお弟子さんのお話しを掲載している。今回のようにネタが困った時にも「誰の話をしようかなあ」と考えてしまう。

 そんなわけで今回は総務会相談役の二宮さんにしようと思う。

  桂古流の役員会は総務会という。これは総務という役職につく人の会だからその名になった。総務は免許でいえば総会司である。入門から総会司まで最短でも15年はかかる。私が生まれる前から習っている人なんてザラである。現在この会員は200人いる。このとりまとめを二宮さんは平成4年から20年間つとめてきた。この度都築さんに譲って相談役に就いた。

 よくよく考えればなんで今までコラムであげなかったのか不思議なくらいだ。たぶん二宮さんが大変奥ゆかしく、あまり表に出ないタイプだからかもしれない。今回もどのような形で表彰しようか悩んだが、表舞台は遠慮したいと硬く辞された。
  知識も技術も非常に高いレベルをお持ちの方である。今でもそうだが、私が家元になりたての時はひんぱんに相談していた。すると非常に気を遣いながら教えて下さる。そして最後には「家元先生がやりやすい様にすすめてよろしいと思います」と言い添えてもらう。これは本当にありがたい。

  家元になりたての頃の私は何も分からない。二宮さんから見れば技術も知識も経験も未熟な私を一生懸命引き立ててくれた。祖父や父は尊敬できたろうが、どう考えても私を尊敬できないだろうに、と申し訳なく思う。それでも家元一家によかれと思い、総務会長としてどのように取り計らうか、つねに考えてくれている。私だけでなく京子が表舞台にでる道筋もつけてくれた。桂古流のために礎となってささえてくれ、家元のために控えながら組織をまとめ上げてくれた。

  桂古流は二宮さんの他にも新井さん大原関さん山中さん吉野さん岡野さんが家元顧問としてしっかり中核を守ってくれている。みんなが我が功より家元の為を考えて行動してくれる。そして顧問、総務の方が尽力してくれ桂古流をそれぞれの役で盛りたててくれている。その先生達をさらに国会司、正教授、師範の人々が支えている。ありがたい流派の家元になれたなと思う。

 その二宮さんがどういう訳かコラムのネタになるようなことをしたことがある。ノブが幼稚園に入る前だろうか、桂古流展が開催された時のこと。花展実行委員会の統括をしていた二宮さんはいつも以上に神経をはりめぐらせ何か粗相があってはいけないとピリピリされていた。

 その二宮さんの足元でノブが何か言っている。どうやら作品の枝先にミノムシを見つけたらしい。それを取ってと言うのだった。普段の二宮さんならしなかっただろうに、何故か取る気になってしまった。
  魔がさしたか、ノブのあどけなさに載せられたか。二宮さんは背が高いのだが、さすがに届かない位置に付いていたのでノブをだっこした。ノブはミノムシをとろうと無理に背伸びした。その際二人はよろけたらしい。「ドタッ」という音が聞こえた。何が倒れたかと思い、音の方に行くと二宮さんとノブが展覧会場の床に座り込みアハアハ笑っている。

  桂古流の幹部は冷静沈着なだけでなく、茶目っけも十分でないとやっていけない。

 二宮さん本当にお疲れ様、そして今後ともよろしく。

 






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