第六十六回 初志不貫徹
うちのホームページは長男がうまれた頃からはじめた。今年でおおよそ18年目となる。よく続いたなとわれながら感心する。
コラムも最初からの企画だ。きちんと取って置いたら、とんでもない量になる。今わかっている分だけでもきちんと保存しないといけない。そう思いつつ「なくなったら、なくなったで清々するなあ」といいかげんな気持ちになる。
昔はもうちょっと真面目…というか几帳面だった気がする。それがゆるくなり始めた。水がしみ出す器のようだ。45歳という年齢はどういう心の動きになるのだろう。例えばだんだん怖いものがなくなる。その分、自身の業が出てくる頃だと思う。先輩・先生が減り始め、そのポジションに就かされる。始めは居心地の悪かった席も徐々に慣れ始める。遠慮がなくなり仕切り始める。たまに我にかえる。エラそうな自分に恐ろしくなり、物事を勝手にすすめていいのか不安になる。
40歳までは人生の土台を組み上げる作業だった。工藤昌伸先生、北条明直先生が「東京で仲間をふやし活動の場を広げなさい」と勧めて下さったのがきっかけだった。
20代からいけばな造形大、いけばな公募展、いけばなネットワーク21、いけばな仲間の忘年会などに出ていくようにした。最初は1人だったが、徐々に仲間ができた。ネットワークが広がる。そして自分自身の仲間作りのノウハウも分かってくる。
私は「人とのお付き合いは親から子へ譲渡できない」ということと「書類ではないワイワイ、ガヤガヤした有機的な関係が一番大事」という2つを学んだ。人間関係はその人が作らなければ、親の威光ではどうにもならないと思い知った。それより一から築いたほうが機能的にはたらく。面倒でも結局そのほうが有用だ。同じく四角四面の人間関係より、どれだけ盃を傾けたかが大事なような気がする。
そして兵庫県につながりIBQが生まれ、いけ芸・いけ協の理事へと道が開けた。ますます人との付き合いが広がり、若い先生との付き合いも増えた。
近年心がけているのは「初志不貫徹」である。今までは何でも最初から最後までカチッとしなくては気が済まない部分もあった。上の方の言いつけは絶対だったので、そのとおりにした。
結果、失礼があっても押し通すことが正義だった。我慢する必要もなく進めるので、敵も増え始めた。
しかし、私自身の判断が求められることが増えた。一言でおおごとになる可能性も考える。そうすると「自分の意見より相手の傷つかない方法をさがす」ことに重点をおいてしまう。そこで「初志不貫徹」である。自分のポリシーなんか犬に喰われてしまえ!と思ってしまう。所詮いいかげんなのだ。
また「負け姿をさらす」ことの大事さも知った。上に立つ者にとって優しさは最大の武器なのだ。
人はこうして処世の方法を覚えるのかもしれない。
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