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第六十七回 「次」は何だろう


 先日、いけばな作家のかとうさとる先生に「君は現状に満足していない。いつも新しいことを追いかけている。それで良い。」という言葉をいただいた。そういう風に見て頂いている嬉しさと驚きが入りまじり「へええ、そうですかあ」と間抜けな返答をしてしまった。いけばな公募展の事務局になる前から、先生には話しかけられている。15年以上は経つだろう。高名な先生にそれだけ長く目をかけてもらい、ありがたいなと思う。


 私はやはりバブル世代なのだ。これだけ不景気が続いてもどこか能天気で「明日はきっといい日になる」と信じて暮している。明るく楽しく前向きに生きていることで今まできた。どんなに今が大変でも素敵な明日が待っていることを疑わない。

 現在が一番大事な時なのは分かっている。過去は祖父母と過ごした悩みなき甘美な日々が思い出される。そして未来はワクワク、ドキドキが待っている時間なのだ。ひつじ年のせいか、未は好きである。未来という白紙の時間に何を描くか。写真学科だったせいか白紙…というよりフィルムや印画紙を連想する。まっさらな印画紙に光をあてる。陰影をつけることで立体感が生まれる。未来という印画紙に何を投影するかを考えるのは、私にとってたのしい時間だ。


 フロンティア精神を持つのはなぜか。危険を孕みながらもチャレンジする姿にあこがれを持つ理由はなにか。それは誰もが「次」を信じたいからだと思う。前に進もうとする者のみが「次」を信じることができる。何もないということは、何でもできるということだ。朝一番にゲレンデにシュプールを描く、未来に対しそんな心地よさは「次」を考えないと味わえない。

  転んでも、尻もちついても笑って起き上ればいい。行動するものは夢に近づくが、止まっているものに夢から近づくことはない。論語に「賢(けん)を見ては斉し(ひとし)からん ことを思い…」とある。それは未来を信じればこそ出来るのだ。

  「次」を考えるのは本当に楽しい。花の世界で自分は何を生み出していけるのかを考える。構想をねりながら動いている時、苦しくても前を見つめている。
 花をどのように人前で展開するのか。新しいジャンルを作るか、新しい花型を作るか、他流と共同花型を作るか。暇な時にボーっと考えているのが一番幸せだ。

 桂古流には「たちいけ」という大黒柱が立っている。守り伝える芸である。守るのはできても、伝えるのはむずかしい。

  3つ星からはずされたトゥールダルジャンとマキシム。フランスを代表するレストランだがその後の対応はちがった。トゥールダルジャンはその後捲土重来をちかい1ヶ月半ごとに旬の素材をメニューにとりいれた。マキシムはおのれの名に驕りシェフの数を減らした。もし客だとしたらどちらが魅力的か、「次」に行きたいのはどちらだろう。


  人は気まぐれである。その気まぐれをこちらに向けさせるために「次」を考える。
  たくさんある「次」候補から「次」になるのは一握りだ。

  「次」はなんだろう?

  今日もまた私達は追いかけっこをくりかえす。






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