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第六十八回 艶を忘れない


 このコラムは女性読者が多い。だから非常に書きづらいテーマなのだが今回は男女のお話しである。


 自分が男な分だけ最近の男に対し不甲斐なさを感じてしまう。恋愛しない男の子に話を聞くと「前にひどい失恋をしたから」とか「好きな人はいるけれど告白までは考えていない」とか、ひどいのになると「お金がない」などと言う。ええええい!お前らは何のために生きているのだ!男が告白して女性と付き合いはじめないでどうする!と思ってしまう。働いている理由に「老後の金を貯めて」って何なんだその辛気臭い発想は。

 告白しない理由を尋ねると「だってセクハラっていわれたら」とか「しつこいとストーカーって思われるかも」とか応える…うーむ、これからは法律に触れない恋愛告白術という授業が必要かもしれない。冗談でなく少子高齢化の原因の一端は男の不甲斐なさだと思う。

 映画「バンビ」の中にフクロウおじさんが出てくる。年頃なった小鹿のバンビと兎のトンスケとスカンクのフラワーが歩いていると、フクロウおじさんが恋の季節のことを教えにやってくる。すてきな異性と出会うと、みんな一様に興奮しのぼせあがり、理性が吹っ飛んでしまうのだそうだ。3匹はまだ恋を知らない。そんな恐ろしいことになるもんかとつっぱねる「お前たちも年頃だからそろそろ素敵なパートナーと恋に落ちるよ」と促す。3匹とも「そんなことないよ」というが、やがて恋に落ちる。

 人間社会にもフクロウおじさんは必要だ。
男よ、恋愛すべし。異性を見て美しいと思うべし。


 日本の八百万の神様は大変大らかである。子供の頃読んだ本に神様の祭りのシーンが描かれた。男の神様も女の神様も裸になって踊る。女の神様が油をぬって逃げる。男の神様が追いかける。油を塗っているからツルンとかわす。すがろうと抱きしめようとツルンツルンである。周りで見ている神様は大笑いする。その晩、私は興奮して眠れなかった。すばらしい世界だ、理想郷だと思った。この話のすごさは明るく大らかな笑いで艶を表現していることである。

  芸能には攻めていく荒ぶる魂と艶やかな色気の両方が必要だ。役者、噺家、歌手、芸術家、小説家全ての分野に艶は必要である。艶のないものはギスギスして筋張っていて面白みがない。異性への憧れをどれだけ表現できるか、それも品を忘れずに大らかに面白く表せるか。これは本当に難しい。

 

 さて自分の過去を振り返って、このような文章が書けるほどの武勇伝があるかと問われれば、悲しいほどに何もないのだが、思春期の頃の話をいくつか。
 艶というほど大人でなく女の子のことしか頭にないような高校時代、不幸にも私は男子校に通った。学食の配膳以外は全員男の職員という徹底した環境だった。私の世代はAKBならぬおにゃん子クラブ全盛だった。が、あまり興味がわかなかった。芸能人でなく同世代の普通の女子高校生がどんな生き物か単純に知りたかった。

  まるで私の不満を見透かすような本がその当時に出た。「東京女子高制服図鑑」。これはすごかった。埼玉の男子校ではお目にかかる機会のない制服が網羅されていた。ボロボロになるまでみんなで眺めていた。そのうち人気投票がはじまった。紺色のハイソックスのミッションスクールに人気が集中した。器用なやつはカルタをつくり学校名で制服を当てる遊びをしていた。受験生をお持ちの方、ご主人が娘さんの進路を「いいじゃないか、制服もかわいいし」といったら要注意。かつて愛読者だった可能性が高い、と私個人はおもう。

  学校ではアイドルの写真集は通貨として用いられていた。テスト前にノートを貸すと「GORO」がお礼に来た。
 柔道の試合で相手校が共学で女子マネージャーなんか付いていたら大変である。普段やる気のない連中も一生懸命引き分けにもちこみ、強い奴は必要ないのに相手の首をしめて気絶させていた。

 高3の模試でふと「志望校に女子大を書いたらどのあたりに合格できるか」と思った。友人に話すとすぐに協力を得られ、1人2枠をもちい3人で6校を書くことになった。S心女子大学、F女学院大学、J践女子大学、A見学園女子大学、K村学園女子大学、無謀にもT京女子医科大学をえらんだ。当時は女子大生ブームのまっただなかである。その学校名を書くだけで女子大生が応援してくれるような気分になり、3人とも著しく成績が上がった。しかし思いもよらないことが起こった。結果を見ると女子大の合格判定がすべて白紙になっている。私達の頭も真っ白になった。模試では最初に名前、学年、クラスそして性別にマークする。その時点で我々は女子大への受験資格はなくなっていた。よって偏差値うんぬんの前に空欄になってしまった。

  こんなことでやるせない異性へのあこがれはますます強まり、いつしか「絶対結婚してやる」という決意は培われた。艶も何もあったものではないが、男子校ならではの「恋愛の成就が勉学や仕事へのやる気につながる」ことへのこだわりは人一倍高かったとおもう。



 6世華盛の立ち活けは艶というより「色気」があったと桂古流の幹部は口をそろえて言う。まじめで藝に厳しかった分、祖父は酒席ではとても楽しかったらしい。お酒を飲んでたのしんでいるうちに祖父の花型は強さだけでない色気が出てきたのであろうか。
23年度の日本いけばな芸術展でエニシダの立ち活けをいけた。口の中でずっと「色気、色気」とつぶやきながらいけた。出来上がって多くの先生からほめられた。特に宏道流の御家元先生からほめられたのはうれしかった。

 祖父を目指している私は自身の作品が荒削りなのも理解しているし、まだまだ及第点は出せない。けれど厳しいなかにも艶やかな表情のある立ち活けを、生涯の目標として精進したい。






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