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第六十九回 40代の落とし穴


  私の人生はあまりに出来すぎだと思う。こんな浅学非才の者がいつまでものうのうと生きていられるわけない。世の中には私より能力のある人、努力している人がたくさんいる。

 会議や打ち合わせで、大学教授や国家公務員と話すと「…で…が…となりますが、何かご意見は?」と尋ねられる。助詞のほかは何も分からない。

 日本語同士の会話なのに曖昧に笑っているしかない。相手の能力の高さに舌をまき、自分の無知に溜息をつく。社会でお金を稼ぐということは、本当に大変で尊いことだなあと心底思う。ファンキーモンキーベイビーズのヒーローはこういう人のことなのだろうと少しうらやむ。

 私などは彼等からすれば、遊んでいるようなものだ。花をいけているのを仕事と感じたことはないから「働いた」と実感したのは社会に出た2年間だけで、あとはフラフラ生きてきた。そうできたのもお弟子様をはじめ、多くのすばらしい人に囲まれ、ありがたいお話しが舞い込みチヤホヤされてきたからだ。私の素の実力がどんなものかは自分自身が一番知っている。

 だから「落とし穴」に非常に敏感になる。

 さて、40代の落とし穴は何だろう。

 まずは身体。健康の話題だ。正直今まではどうにかなる、とタカをくくってきた。しかし44歳のとき小学校の同級生が癌で逝った。快活で元気な女の子だった。ショックを受けもう健康に気を配る年なのだと実感した。厭だけれど健康診断に行くようになった。父から代替わりして5年、やっと流派も軌道に乗ってきたところだ。ここで健康をそこなっては皆様に迷惑をかける。祖父の86歳は無理でも、父の71歳までは花をいけたい。そのためにはあと25年は動くようメンテナンスしなくてはならない。車だって10年乗れば買い替え時である。70年も使われるのは身体の方も大変だろうと少し気弱になる。しかしあの世に行きゃあ名人天才にたくさん花が習えるなあと気楽に構えている。

  仕事。仕事の失敗は傲慢と軽率がまねくと私は思っている。「この私が…」とか「これくらい…」と思ったら要注意である。仕事の失敗は我を通したところに発生する。仕事とは何で出来ているかを考えてみる。システムとか商品とかビルとか人事とか様々な要素がある。それらをかき分けて仕事の核をみる。そこにあるのは人気、つまり世間の人の気持ちだ。人の気持ちを考え行動していくことが仕事なのだと思う。私は「世間様に申し訳ない」という言葉が好きだ。古臭いと言われても日本人の核はここにある。成功する企業、失敗する企業は、世間様を大事にしているかどうかだ。

  家族。もうこれは感謝以外にない。家族には頭を下げて仕事を優先させてもらう。子供の頃、よその家族がうらやましかった。子供が両親に手をつながれていると激しく妬んだ。いま私は妻子に同じことを強いていると感じる。「すまない」と思う気持ちを伝え続ける、それしか表現の方法がない。

  酒。酒…である。かつて「男の甲斐性は飲む打つ買う」と言われたそうだ。永六輔の著書にもそんな話が出てくるから、大昔という訳でもなさそうである。打つも買うもしないが、飲む席は増加の一途をたどっている。旅先でも食事はつまみと酒ですませてしまう。身体に良いわけがない。酒席の失敗も気になる。宴会の次の日、何を話したか覚えていないことが増えた。しらふに戻ると恐ろしく感じる。人との繋がりだけで今の立場にいる。嫌われれば奈落の底にまっさかさまである。金沢で暴言を吐き、京都でホテルに担ぎこまれ、列車で寝て埼玉県を通りすぎた。覚えているだけでこの様だから、そうとうひどいに違いない。

 こう記してみると私の人生は落とし穴だらけだ。付き合い良く全部に落ちていては身がもたない。けれどビクビク生きるのも性にあわない。どうせ落ちるなら、くだらない穴に落ちて、世間様に嫌われず、笑われるような落ち方がいい。






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