第七十一回 バブル時代を愛し憎んで
私はやはり劇的な時代に生きてきたと思う。生まれてから大学4年まで好景気の時代が続いた。受験も就職も人並みに苦労したが、日本経済が安定成長の中で育った。
人生の節目にやってくる試験にもその都度立ち向かった。将来の希望のために大切な試練と言い聞かせた。結果は散々だった。自分の能力では精いっぱいだった。けれど多くの企業が業績拡大の「イケイケ戦略」をとっていた。私も会社にもぐり込めた。
そして社会人になった。
すぐ不景気になった。
平成2年から平成25年まではずっと不況が続いている。
私は「一生懸命勉強して一流の学校にはいって一流の会社に勤める。それが一流の人生」と学校で教わった。これは厳然たる事実だ。
先生は口には出さなかったが、そういう教育をした。
中学は高校のためにあり、高校は大学のためにあり、大学は就職のためにあり、就職はその先の人生のためにあると教えられた。公然とでなくヒソヒソと暗がりからいやらしい真理を聞かされた。
同級生もいやらしい真理を信じていた。だれも疑わなかった。事実就職まではその通りに来た。大学4年のときは空前の求人難だった。学生買手一色の時代で、就職活動などしないでも内定は取れた。そして新社会人となった。胸いっぱいバラ色だった。いやらしい真理も気になったが「さあ、やるぞ」と素直に思っていた。
その途端むなしくバブル時代がはじけた。
社会人になってから今までにいくつの倒産劇をみてきただろう。
吹き飛ぶなんて考えられない上場企業が表舞台から去っていった。
証券、流通、音響機器、銀行、化粧品。バブル時代に染みついた攻撃一辺倒の企業体質が裏目に出た。
なくならないまでも商社や石油、航空、製薬、広告、信販など多くの企業が経営再建や統合などしてかつての勢いをうしなった。
いやらしい真理の裏の、どす黒いものが一気に噴き出てきた。
バブル時代、華やいだ企業が持っていたキラキラ。そう見えたのはペラペラだったからかもしれない。汚れ役を厭い、きれいごとで済まそうとしたツケを払わされたのだ。私にはそう見えた。
泥まみれになり、地面に這いつくばって稼いできた先人たちに感謝もせず、のうのうとマニュアルだけで生きてきた。そんな経営者に危機意識が働くわけもなく、どす黒いものにあっという間に汚されていったのだ。前に突き進んだ分、バックはできなかった。
偏差値、学歴、一部上場企業、株価、終身雇用、昇給・昇進、地価。思えば私たちは幼少期から数字に追いかけられてきた。数字で他人を追い越したつもりになり、数字で自分が一流になった気がしていた。不景気はそういう数字も概念も一気にぬりつぶした。
私たちが役に立つと思ってきた物がなくなった。
バブル時代に脇道にそれてしまい、自分は自分と独自の道を歩んできたものが、のし上がるようになった。
それはそれで正しい選択なのだと思う。しかしバブル時代を憧れ、信じ、愛し、裏切られ、憎んだ私としては、何ともさみしい結論だった。
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