第七十三回 芸は嘘
芸は嘘である。嘘を承知で行うのである。見る側も嘘を承知で見なくてはならない。
音楽も小説も演劇も映像も嘘である。嘘でいいのだ。
なぜならこの世はつまらないから。思い通りにならないから。私たちは、いつもこの世に不満を抱いている。くやしさ、悲しさ、恥ずかしさ、日々の出来事で心を傷つけている。
そういう時に嘘は必要だ。孤独から救うための嘘、挫折から立ち直るための嘘、絶望を避けるための嘘。人の心を洗い流す嘘は芸に昇華する。
テレビショッピングのキャスターが「長年つれ添って暮らしてきたご夫婦のご主人が亡くなられたご婦人が望むもの。それは賑やかな空気感なのです。見ているだけで寂しさを忘れさせてくれる楽しい会話なのです。自分も会話の中に加わっているような錯覚で孤独から離れられる。そのような思いでテレビショッピングを見ている方もいるのです」と話してくれた。
打算からくる愛想笑いでいいのである。それで心が軽くなるなら素晴らしいことだと思う。ショッピングは欲しいものを買うだけでなく、つかの間の嘘も手に入れるのだ。
芸の世界でも嘘は存在する。カントリーロードという曲がある。言わずと知れたジョンデンバーの名曲である。ウェストヴァージニア州の自然と歌い上げたこの曲は、ジョージタウンのアパートで仲間とともにジョンが書き上げたものだ。ジョン自身この景色は見たこともないという。その後ジョンの仲間はファンから「歌詞の通りに山脈と川が見え美しい景色だった」と言われ思わず「それ、どこで見たの」と尋ねてしまった。
いけばなも嘘である。自然を感じてもらうならば、活けられている花がすべて温室育ちでも構わない。太い幹が本当に曲がっていると信じてもらえれば、クサビの技術などむしろ教えないほうがいい。嘘を信じて喜んでくださるお客様は、私たちにとって最高の褒め言葉だ。
嘘をつくためには徹底したリアリティが必要だ。1つの嘘のまわりには千もの万もの本物が必要である。芸のため嘘をつく後ろめたさを、必死で技を磨き最高の材料を用意することでつぐなう。
必死に努力する時、嘘の中の本物をお客様は嗅ぎ取ってくれる。
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