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第七十五回 わがままの範囲


  自分が個人で行動するせいか、団体で行動している人が好きである。

  スポーツでもオーケストラでも演劇でも、団体で活動している姿を見るとワクワクしてくる。
人間ではないけれど群れているものは何でも好きである。熱帯魚が群れて泳いでいる姿、ペンギンの行進は見入ってしまう。
 無生物でもショールームの車が並んでいたり、作家の全集など、まとまった物のなんと魅力的なことか。 もちろん夏の甲子園は試合と同じくらいマスゲームに感動している。


 いけばなはせーの、で同じ行為をしない。展覧会は決められた時間内でいけこみをするが一作ごと個人により制作される。個人同士、競い合う場が展覧会場である。
  しかし最初から最後までたった一人で作り上げるものではない。花屋は最高の材料を仕入れてくれる、器を運んでくれる人も大事である。いけあげた所で、細かい掃除をしてくれる人も欠かせない。いけこみの次の日からあげ花まで水の世話をしてくれる人もありがたい。

 お稽古も同じである。先生と生徒がいて初めて成り立つ。「いける」行為は独りでしなくてはならない。でも私の前と後ろに多くの仲間を感じる。決して寂しくないのだ。

  書籍に作品が載るときも多くの人の手を渡る。みんな最高の仕事をしようとする。どうしてもぶつかる時がでてくる。これは「良いものを作る」という共通認識があるから最後はかならず妥協点が見つかる。妥協点がなければ独りよがりになってしまう。


 こういうぶつかりを経て、人はやっても許されるわがままと、やってはいけないわがままの区別を知る。
自分の範囲を知る。人だけでなく植物も教えてくれているように思う。
 独りよがりの作品は「じゃあ勝手にすれば」と枝や花がいっているようだ。いけ手は花材の声を聞こうとしているか、その姿勢が作品に表れているか・・・



いけばなの核は、実はそんなところだったりする。

 

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