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第七十七回 二十四節気と日本気象協会


 私がみなさまにお見せできる仕事というのは実はごく一部である。結構途中でダメになってしまうものが多い。
 テレビ出演なども出ている倍は依頼が来ている。けれど何らかの事情で立ち消えになる。企画そのものに無理があったか、私の外見が良くなかったか… 理由はいろいろあるのだろう。
 その依頼がとにかく私の所まで来たのは事実だから、感謝である。芸能人が各駅停車に乗っていく「あの」番組も打合せまではいったのだが残念だった。
またのご縁をお待ちしている。

 その一方でこちらからアプローチをかける仕事もある。大抵は何にもならない仕事が多い。
 古流・大觀流副家元の大野理瞳先生のお言葉を借りれば「いけばなは儲けにならない仕事をこれでもかって行って、やっと一つ実になるかならないかの世界」である。私も同感である。

 飲食業や接客業を「水商売」などという。私達も水は使う仕事だが商売ではない。人にいけばなの魅力を伝えてナンボである。この一線が非常に大事だと思う。ずーっと高楊枝をくわえたままである。

 ある日、一人の男の人が訪ねてきた。スーツはきているが、それほど外見に気をつかうタイプではないい。なんとなく学究の徒という感じがする。その人は一枚の名刺を差し出した。
「日本気象協会」と書かれていた。

 無知をさらすようだが、日本気象協会とは一体どういう組織なのか私は知らなかった。国の機関と勘違いしていた。その人の説明によるとうちと同じ財団法人だそうである。天気予報を知る方法としてかつて117番に電話することがあった。その収入の受け取り先として設立されたのが日本気象協会である…そうだ。

 そんな話をつらつら聞いているうち、新聞の記事を思い出した。そして余計な話しに首を突っ込んだことも思いだした。
 電子版の新聞記事だった。日本気象協会が日本版の二十四節気を作るというものだった。大抵のことは聞き流す私も、さすがに驚いた。立春や立秋などが日本の暑さ寒さに合わないから、というのが主だった理由だ。

 それにしても何百年も連綿と続いてきたシステムをいきなり変更できるのだろうか。その時はまだ日本気象協会が国の機関だと思っていた。かつて明治時代の初期に太陽暦になおすときに起こった混乱、それと同じようなトラブルがまた繰り返されるのかと思った。

  二十四節気は確かに分かりづらい部分もある。日本気象協会が言うように暑さ寒さが合わないからというのも解かる。しかし立春・立秋の「立つ」とは急に現れるの意味である。「夕立」が急に雲が現れるのと同意だ。一番寒い日にこれ以上寒くならない底の日なので春が立つとし、一番暑い日にこれ以上暑くならないピークなので秋が立つとした。これは説明すれば分かる話だと思う。上記の内容を日本気象協会にメールしたような覚えがあった。


  二十四節気を頼りにしている伝統文化は多い。いけばな以外にお茶や日本料理、落語、きもの等がその影響を受ける。特に俳句は季語と二十四節気は密接な関係になる。
日本気象協会はみんなから賛同をうけて早々に日本版二十四節気が作れるとおもったらしい。しかし俳界を始め日本中の伝統文化からから非難轟々をあびた。

 「いや〜理系育ちの自分たちには今までまったく縁のない世界でして…」とうつむく彼は随分苦労したのだろう。二十四節気にふさわしい花を教えてくださいと言い帰っていった。

 


 

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