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第七十八回 真っ白になる


 新しいことを学ぶとき心がけていることは一つ。真っ白になることである。自らをおろしたてのノートのようにして素直に学ぶ。決して知ったかぶりや強がりや萎縮したりしない。知らないものは知らないとヘラヘラしている。



 ヘラヘラに心がけるもないのだろうけれど、不思議とヘラヘラになれるものとなれないものがある。ヘラヘラしないと真っ白になれない。私は楽器をはじめ音楽関係は真っ白になれない。必ず雑念が入る。そういう分野は長続きしないし、上達もしない。

 真っ白は成長するにつけ減ってしまう。だから意識的に「今日の私は真っ白だ」と言い聞かせるといい。真っ白がうまくいかないときは、その前段階としてリラックスと興味津々と緊張感を適度にもって、教えてくれる人と対峙する。その3つがうまく重なり合うとフッと自らが消える時がある。実体を感じないというべきか。そこが真っ白の立ち位置である。はたから見ると多分ヘラヘラしている。



  真っ白は便利だ。教えられたことがコピーされた紙のように刷り込まれてしまう。はじめは頭に刷り込まれ、徐々に体に刷り込まれていく。頭は真っ白になれば刷り込まれるが、体はある程度反復練習を繰り返すことで刷り込んでいく。反復練習していたことができてはじめて芸になっていく。

  反復練習のコツは自分を人間だと思わずに1つの機械・器具だと思ったほうがいい。「つらい 面倒くさい 疲れた」という感情をすてる。目はカメラと思い込み、指はロボットアームと言いきかせる。ただ真似る。ひたすら繰り返す。同じことができるようになるまで無感情で真似る。

  歌舞伎役者は歴代の当たり役を引き継ぐとき、最初の舞台だけはその前に役をやっていた通りに真似るのだそうだ。同じことができるのが芸の土台だからか。

  完全に真似ることができるようになると不満に覚えてくる。「私ならこうする」という工夫したい部分がかならず見えてくる。自らのなかで芸の土台ができあがってきた証拠だ。真っ白から写し取った芸に今度は自らの考えを付け加えるのだから、死に物狂いの努力が必要だ。けれどここからはオリジナルの世界なので、とても楽しい。土台があるから、工夫すれば芸がさらに生きる。


  立川談志が有名な噺の落ちに変化を加える。マイケルジャクソンがインストラクターを超えるダンスに仕立て上げてゆく。はたから見れば大変な行為だが、オリジナルを追及していく喜びの部分もあったのではないか。真っ白から吸収したから、自らの芸を載せてもぐらつかない。


 しっかりした芸は真っ白になった人から生まれる。

 


 

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