桂古流いけばな/活け花/フラワーアレンジメント/フレグランスフラワー

ホームサイトマップ
 

第八十回 葉組の立ちいけ


 「桂古流の古典にはいくつかの奥義がある。」

 などと書くと、いかにも他を寄せつけない古典芸能の世界にきこえる。確かにいけばなにもそういう一面はある。
 敷居が高いと思われてもなんなので、普段コラムにあまり書かないようにしているが、たまには古典芸能らしい内容も記すこととする。

 桂古流で難易度のたかい古典花は三つある。

 一つ目は数いけがある。古典の花型は本数を多く入れれば入れるほど難しくなる。細い枝を交差せずに姿良く活けるのは至難の技だ。その世界で修練する。エニシダや行李柳は
30本から50本を挿す。祖父などはもっと入れたらしい。
 二つ目は多管いけもある。この場合の管とは竹を切った筒のことである。ひとつの管に一つの古典花をいけていく。3管、5管と組み合わせれば、となりの管との関係もでてくる。一つの古典花がミュージシャンとするなら、多管いけはセッションだ。多管はあえてせまい空間に置く。そして枝同士がぶつからないようにいけあげるのである。
 そして三つ目が今回のテーマ、葉組ものと呼ばれる分野である。詳細は後述する。

 それぞれが上達に一生をささげるような難しい、厳しい世界だと思う。「ここまでできれば満点」などと言われることのない世界だ。それゆえ掛け値なしに美しい。万人を魅了する力にあふれている。

 上記の三つは男らしい大きな古典花とは対称的だ。体力ではない細かい作業が得意な日本人の好みに合う。

 さて、葉組もの。
葉組ものは初夏の花材に多い。夏はいけばなでは草の時期にあたる。
真行草ということばが、伝統芸能ではよく出てくる。フォーマル・セミフォーマル・カジュアルという意味である。

 この時期、桜も終わり花の木はツツジが主になる。草花だとリアトリスだが、出荷の時に箱の中で蒸れてしまう。花屋が仕入れても、教室に持って来られないことがある。
 新緑は美しいが、いけばなで新緑の枝物はつかわない。まだ新芽が成長期で水分を含み過ぎている。切ったそばから葉が萎れてしまう。また枝の部分も弾力がありすぎ、形にならない。板屋楓などは展覧会でいけるがお稽古にはつかわない。
 このような枝物も草花もない時期だからこそお稽古に重宝されるのが葉組ものだ。
 代表的なものは菖蒲・杜若だろう。
 そして秋から冬に出てくるのは棕櫚・万年青・水仙。「苞蘭に始まり苞蘭に終わる」の苞蘭も葉組ものにくわえられる。

 また葉組ものではないが、花と葉が別に生えてくる花材もある。カラー、河骨、睡蓮、蓮、オモダカなどの水物、紫蘭、アマリリス、擬宝珠、君子蘭、紫苑などの陸物である。これらは2花5葉または3花7葉としていけられる。

 ここからは全くの私見だが、切り花の流通がここまで盛んでなかったときは、初夏に手に入る花材は菖蒲とか杜若ぐらいだったのだろう。それゆえ毎回同じお稽古をしているうちに、かくも複雑な葉組に発達したのではないか。そうとしか考えられない、突出した面倒くささである。
 いけ手としては花材が少なく、水辺の花を「よし、ひとつ活けてみるか」とその気になってしまったのだろう。そして手を加えるならば真似のできない型を、というチャレンジ精神みたいなものを持ったに違いない。何人ものいけばなの名人が、葉組に拍車をかけたように思える。長年の精進の中で磨かれた葉と花の高さの比率、そして優美な立ち姿。

 小さな美の巨人である。


 

 


 

バックナンバー>>
桂古流
最新情報
お稽古情報
作品集
活け花コラム
お問い合わせ
 
桂古流最新情報お稽古案内作品集活け花コラムお問い合わせ
桂古流家元本部・(財)新藤花道学院 〒330-9688 さいたま市浦和区高砂1-2-1 エイペックスタワー南館