第八十三回 合う奇跡
合うという言葉がある。
2つ以上のものが集まって1つになるという意味だ。集合・合同などがその熟語であろう。
合うには一致するという意味もある。彼とは意見が合う。答えが合う。また似合うなども調和するということでこちらの意味だろう。
私の個人的な印象として、こちらの合うには「合わないかもしれない」という部分が含まれている気がする。
だから合うには「!」をつけたくなる
答えが合っていた! とても似合うよ! 合格!
では否定的なときはどうなるだろう。 !に対して…か。
答えが合わなかった… あまり似合わなかった… 不合格…
私の人生はあまり「!」のシーンはなく「…」ばかりだった。
合うという言葉には人の力の及ばない何かが働いているように感じる。合うというのは必ず相手がいる。だからどんなに努力しても私は半分までしか決定権をもっていない、と思う。可能な限り準備して合意に至らなかったことは山ほどある。
人事を尽くして天命を待つ、と言ってしまえばその通りなのだ。しかしこの高飛車なことわざからこぼれ落ちている人の挫折や不安というものに、寄りそってみたい。
「人は生まれた時から、それぞれの宿命を背負い、自分の意志と努力である程度までは自分の人生を築けても、どこか手の届かない運命というものを背負っている。」山崎豊子、不毛地帯の一節だ。
主人公、壱岐正の生きざまはこの一言に凝縮されている。
いけばなにおいても「合う」という概念はとても重要なファクターだ。
どんなに良い花が手に入っても、器が合わなければ台無しになってしまう。場に合うのか、観客に合うのか、季節に合うのか・・・
もちろん全てに合わせるなんてできない。でも合ったときの喜びは奇跡に似たものを感じる。
「このお花とてもお似合いですね」と言われる褒め言葉は最高にうれしい。
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