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第八十七回 サービスは魔法

 サービスは特定の人にしか使えない魔法だ。サービスを受けたくて、人は店に通う。時に知識を、時にセンスを、時に雰囲気を、時に笑いを、時にその全てを求める。
サービスは表面上のものではない。内面の、人柄からにじみでる。だから先輩のものまねをしても、それはサービスにならない。
 お店に10人の店員がいたら10通りの「いらっしゃいませ」や10通りの「ありがとうございました」がある。
 ハキハキした声、ゆったりした声、楽しくなる声、安心する声、気配りのある声、頼りがいのある声、ときめく声、実直な声。その声を聞くだけで自分がいるべき場所だと落ち着く。

 商品を見ながら、あるいは飲食をしながら、私達はサービスを楽しむ。なぜサービスは機械ではだめなのか。マニュアルでガチガチのサービスは一流ではないのか。

 究極のサービスは、接客マニュアルにはない。

  顧客の要望で判断することが求められる。顧客のためにあえて規定にそむく、マニュアルをやぶることに、人は魔法をみる。もちろん規定・マニュアルはお客様のためにある訳だから通常まもっていれば十分サービスは成り立つ。しかし、マニュアルと顧客を天秤にかけた時は、顧客をとるようにできるか、保身のために顧客を犠牲にしていないか。日々の反省の上に店の格やサービスの質は成り立つ。



 父は一度大学受験に失敗している。高校卒業のあと働きもせず受験勉強もせずブラブラしていたそうだ。夏のある日、囲碁の碁会所に行った。すると碁会所の女性の店主から(父はマダム!と言っていた)「あなた、いつまでここにいても仕方ないんじゃない?親御さんが大学に行かせてくれるというならば、もう一度努力すれば」と言われた。
  そこから勉強をはじめ、翌年入学した。父の人生の岐路に碁会所の女性の一言、サービスがあった。
 その女性は、父を説得しなければ良かった。お客を1人減らさなかった。別に頼まれた訳でもなく、父がどうなろうと責められる立場でもなかった。でも本当に父を心配してくれた。その言葉に、父は感謝し何十年も覚えていたのだろう。

 祖母はかつて伊勢丹の外商の人を可愛がった。その代わり無茶も言った。祖母は「畑を歩くような長靴がほしい」とその人に言った。仕方なくその人は地元の古河の方で手に入れ祖母に届けた。

 サービスで大事なことは温かさだ。温かさをもっているかどうか、その差がサービスにつながる。温かな人は失敗した人に手を差し伸べられる。サービスのルールは必要だが、大きな枠組みだけでいい。細かい点は個々に変えていく必要がある。
  温かな人はオリジナルのサービスを構築できる。サービスとは奉仕である。奉仕は頭で作り上げるものでない。温かい心と、顧客の要望を想像する力でできている。

 20数年前のデパートの話だ。店内案内、俗にエレベーターガールと言われた人の選び方は独特だった。まず上司が無理な難題を押し付ける。できないと罵倒する。怒りだしたら即失格。最後まで泣かず、笑顔でいられる人が選ばれた。
 顧客に対し、商品に対し、温かい心をもって接すること。心を開いて顧客の話しに耳をかたむけること。文字にすれば何と平々凡々なことか、しかし実践するのは難しい。

 伊勢丹浦和店にはサービスの魔法使いがいた。
メーカー社員だったが4階婦人服のトップセールスだった。多くの顧客が魔法使いに酔いしれた。伊勢丹店長も舌を巻くほどの販売力に講師を依頼したほどだった。メーカーのマニュアルより顧客を第一に考えた。メーカーの上司に注意されても魔法使いは考え方をかえなかった。顧客は魔法使いの信奉者になった。ついにメーカーの上司は魔法使いを異動にした。 売り上げは一気に落ちた。上司の上司が魔法使いを銀座本店に栄転させた。
 魔法使いは生きている。顧客は浦和から銀座へ大移動を始めた。魔法使も、顧客もお互いを決して裏切らなかった。切られたのは上司であり、マニュアルだ。魔法使いもすごいし、顧客もすごい。
 

 できそうで、できないことだなあと反省している。

 

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