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第八十八回 「和」の正体


 東京オリンピックが2020年に決まってから日本への関心が高まっている。海外の人が興味を抱いていたクールジャパンの印象は世界文化遺産の和食・和紙の決定でさらにあおられた。空前の「和」ブームだ。

 この和って何だろうと思う。和というものの正体をさぐると私はいつも混乱する。確固たるものが見えない。片付いていない引き出しのようだ。1つ1つ整理していくと原因がはっきりしないまま何もなくなってしまう。和は、すべて同じくらいのボリュームで、同じくらい重要なものが押し合いへしあいしている。そのせいか和食・和紙につづけと最近いけばな界も鼻息が荒い。

 私はこの同じようなボリューム感でありながら、1つだけ特化してしまうと全体が見えなくなってしまう和という存在に、困り、手を焼き、深く関わらないようにしてきた。頭で理解する外郭がつかまえられないのだ。
 「何を残したかより何も残さなかった」と「何でも受け入れ何の影響も受ける」という和文化の存在そのものを否定するような、和文化の特色。これを前に右往左往していた。

 例えば城を考えてみよう。外国の城に比べ日本の城は城跡だけの場合が多い。これは私達が昔から「壊れても修復してとっておこう」という考えの希薄さを表しているように思う。安土城、江戸城は戦乱や火災などで失い、聚楽第は秀吉の命令で壊された。「天下取り」3人の建物がそろって修復されなかったのは、もう国民性というしかない。たとえ壊されてもその時代ならば原料もあろうし、設計も建築手順も修復しやすかったはずだ。やる気になればできたのである。「夏草やつわものどもが夢のあと」は決して風景を詠んだだけではなく日本人の切り替えの早さ、物の保存へ執着のなさを言いたかったのだ。

 殿様の城がそんな具合なので、一般の住宅などあっと言う間になくなってしまう。かつて宿場や市などで栄えた歴史上の町が、今は草深い土地になってしまっている。歴史的役割を終えても建造物だけ残る海外の遺跡などとは大違いである。唯一納得できる規模の建造物は沖縄の首里城の周辺くらいか。あとは会津若松の鶴ヶ城や姫路城の周辺など思い切り「現代」になってしまっている。

 和とは無にすることだ。記憶にさえ残ればいい。

 たとえば酒を注ぐ、盃を酒で満たす、飲むとなくなる。この行為で酒という実体は残らない。
 残るのは酔いという感覚である。私たちは酔いが残れば十分なのだろう。酔いは生活のエッセンスと言い換えられる。私たちは日常において痕跡を残さないのだ。掃除=元通りにとしつけられている。海外のスポーツイベントで日本人がゴミを拾って帰る姿が、驚きをもって報道されたのもうなずける。ごみ拾いは日本人の美徳である。その奥には無から始まり無に終わるという習性があっての行為だ。
 江戸時代の火消は、延焼している隣のまだ燃えていない建物を壊すことが大事な消火活動だった。燃えやすい木と紙が主たる建材だし、都市空間がせまく家屋が密集しているとか理由はわかる。それを差し引いても珍しい消火方法ではないのか。家屋は今も昔もそう簡単に手に入れられるものではない。それを壊すということに喜びとは言わないまでも、ためらいは持たない。

 歌舞伎も例外ではない。歌舞伎は人間国宝を多数出す伝統芸能の象徴のような存在である。
 彼らの世界がなぜ今でも人気があるのか。いけばなに似て非なる考え方を実践しているに違いない。そう思い観察していると、ひとつのことに気付く。歌舞伎では常に素人が来やすい空気作りをしている。高くなりやすい敷居を低くするように工夫している。テレビに出るように努力したり、舞台では言葉をわかりやすくしたりイヤホンガイドを用意したりしている。キワモノかもしれないが、猿之助の宙乗りが保守的な世界で許されているのもすごい。細かいルール以上に大原則である「民衆に愛される芸能」というスタンスを守り続けること、そのためには自分たちのこだわりをあっさり捨てる。



 日本人の風流、和、というものは、そのようにおぼろげで、あわあわと、とらえどころのない存在だ。くれぐれも「わが日本文化は確固たる品格をもち…」などと思わないでほしい。柔らかく優しく、適当で、日和見なのが「和」なのである。

 

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