桂古流いけばな/活け花/フラワーアレンジメント/フレグランスフラワー

ホームサイトマップ
 

第八十九回 荒野とか草原とか


 昔の決闘シーンは風の吹く荒野であった。
ヒーローが去っていくシーンは夕焼けの草原であった。
当然、草のはえる場所への憧れは強い。

 しかし私の住む街からは荒野も草原も…原っぱさえなくなった。
植物も今やビルの中で育てられる時代である。そのうち地面に野菜が生えているのを知らない世代がでてくるかもしれない。

 私は走ることを趣味にしている。気づくと緑の見える所を選んで走っている。大してスピードも出さずトコトコ走っている。そんなランニングでもアプリが距離を計上してくれるのが楽しい。我が家から自転車で10分離れた浦和競馬場の周りが好きだ。緑が多くてコースに恵まれている。

 浦和競馬場は昔、沼地だった。今もコースの真ん中に藤右衛門川という川が縦に貫くように流れている。中央には藤右衛門川から引き込まれた遊水地もある。葦や蒲のあいだでカモが子育てしている。自然が豊かに残っているというより、財政難で管理が追い付かないというのが正直な印象だ。

 コースの内周を走ると1.2キロある。足元にはそれなりに四季がある。原っぱと言えなくもない。春にはクローバーの白い花が咲き、夏草が伸び、秋に刈られ、やがて冷たい地面がむきだしになる。これはこれで気持ちいいのだが、距離がだんだん物足りなくなってきた。もう少し長い距離を走りたい。そこで競馬場を出てみることにした。

 競馬場の周辺は畑や住宅が入りまじった地域にとなる。競馬場は楕円の形をしているので、その周りの道も楕円状に走っている。車が入り込めないような細い道が多い。ランニングするのにはうってつけだ。むかしお稽古にかよっていた阿佐ヶ谷の先生の所に似ている。

 競馬場の外周は地主が申し訳程度にやっている畑がみえる。低い木が生け垣として植わっている。面倒みているのだろうが、やせぎすな印象だ。畑を過ぎると品の良いありきたりな家並みが続く。幸せそうに亭主が車をみがく。砂利の駐車場や大きな庭の邸宅はあるが原っぱはない。程度の差こそあれ人の手が入っている。それでも都内に比べればはるかに緑は濃い。
 メッキ工場の前を通る。看板に鍍金と書いてある。メッキと詠むとはじめて知った。坂を下ると集合住宅がつづく。200メートルも進むと登り坂になる。この辺りは40年前、古い大木が生えていた。崖の下には水たまりがあった。ジメジメしていて落ち葉がくさり大きなザリガニがいた。
 今は立派なマンションが建っている。上品な人が出入りしている。坂の上には旧家がならぶ。庭木も赤松が目につく。緑の多い庭は素敵だなあと思う。

 競馬場の外周を一回りすると藤右衛門川に沿って川口方面にむかう。ちょうど∞のようなコースで走る。やっと人の手の加わらない緑が見えてくる。原っぱらしい原っぱにでる。私は川と緑が見える所が好きだ。前世はバッタだったのではないかと思うほどだ。坂を上って木の間をくぐるのもいいけれど、空き地の緑がどんどん濃くなるのを息遣いが苦しい中で快く感じる。帰るべき場所に帰ってきたという気になる。
 競馬場と双子の遊水地がある。上谷沼調節池といわれる。すり鉢状の緑地帯である。小さな小さな傾斜地に、ひしゃげた雑草がしがみついている。日当たりの良い空き地には、葛の太いツルと大きな葉が我が物顔ではびこっている。大谷場とか小谷場という地名はこの辺りが谷のように窪んでいるからだろう。ススキの穂はティッシュのような頼りなさで群れている。郊外でようやく見つけた緑の集合体は何物にも代えがたい姿を見せる。このコースで7.5キロ。たかが知れた距離だ。


 迷子になりそうな荒野とか草原とかに身を置く日はくるだろうか。釧路湿原に舞うタンチョウの横を駆け抜ける機会はあるだろうか。


 植物を扱う者として、緑の少ない地域に住んでいることに一抹の不安を覚える。


 

バックナンバー>>
桂古流
最新情報
お稽古情報
作品集
活け花コラム
お問い合わせ
 
桂古流最新情報お稽古案内作品集活け花コラムお問い合わせ
桂古流家元本部・(財)新藤花道学院 〒330-9688 さいたま市浦和区高砂1-2-1 エイペックスタワー南館