第九十三回 そのいけばなはグルーヴしているか
「Groove:グルーヴ」は名詞である。
硬いものに掘った細いくぼみ、敷居やレコードの溝をさす。
今回は音楽用語として使われるグルーヴの意味に特化して考えたい。リズム感のある音楽によく使われる。日本語で一番似ている言葉は「ノリがいい」のノリだろうか。
ただのノリではなく、演奏者が生み出す音の鼓動というか、個人だけの脈拍や呼吸に感情のうねりを加えたような気がする。
これは体得しようとしてできるものではない。ひとりひとりのグルーヴがあると思う。
私の考えだが作品制作において自身のグルーヴを見つけることが重要だ。
グルーヴは音楽が起源のようだが、文楽など日本の芸能、書画、陶芸、スポーツ、弁論、料理に至るまで関係してくると思う。
三浦しおんの「仏果を得ず」には文楽の世界が描かれている。
三味線が大夫に対し技をぶつけていくシーンが印象的だった。すなわち文楽とは大夫と三味線のセッションだという。
先日NHKでその通りの内容を大夫が語っていた。ある三味線ひきは「下手にひけ」と先輩の大夫に言われた。上手くひく三味線はいくらでもいる。上手くひくのではなく情景が目の前に浮かんでくるように引くことを求められる。文楽ではとても大事なことと教わった。
ある大夫はしゃがれ声を気にしていたが、先輩の三味線から音の出し方を習う。そこで娘役の演目をこなすことができた。
このように大夫が三味線を育て、三味線が大夫を育てる。そしてお互いが唯一無二の存在となり、最高のセッションを観客に披露するのが文楽だ。
私はいけばなもグルーヴすると思う、しなくてはいけないと思う。
いけているうちに舞い上がるような高揚感。何とも言えない気持ちよさ。これを味わいたくていけばなを続けている人も多いだろう。
いけばなは文楽のように、必ずしも大夫と三味線だけのセッションではない。色々なものとグルーヴする。
花材とグルーヴすることが多い。普段使いの花材でグルーヴしている作品をみると、感動してしまう。私の気づかないところで、生徒さんが花材とバッチリな世界を作っていると本当にうれしい。
私も研究会の見本作品なのにグルーヴしてしまうことがある。作品としては素敵でもお手本は癖があってはいけない。仕方なくいけ直すこともある。
花器とグルーヴするときもある。作家ものと言われる花器は一見地味でいけづらそうなのが多い。
しかし活けてみると「おおっ」と、こちらの思いもしない世界が出来上がることがある。いけ終ってから器に感謝することしばしばである。
また花留や鋏ともグルーヴする。又木が吸い付くような感じで出来上がると何も考えずにいけ上がってしまう。指のおもむくままに作品ができていく。
展覧会で一番大事なのは人である。
お客様の層がどういった人たちなのか、考えなくてはならない。お客様にグルーヴ感が伝わってはじめて作品として意味を持つ。展覧会のグルーヴは人と人である。祖父の作品の前で立ち尽くしている人をよく見た。作品とお客様の間でグルーヴしていたのだろう。
展覧会のいけこみでは自分の神経をフル回転するところまで追い込む。始まる前と別人になるくらいにキューッと締め上げる。そうすることで見えなかったものが見えるし、独特のグルーヴが姿を出す。
別に言葉遣いがかわるわけでもないが、私の展覧会付の助師さんは空気で分かるようだ。ピタッと話さなくなる。静かだけれど熱いグルーヴが流れ出す。
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