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第九十五回 あいまいは、あいまいなままで


  祖父の仕事部屋の一隅を「間借り」するようになったのは小学低学年のころだった。

  鉄骨ビルの桂古流会館ができたのは私が中学生の時なので、さらに前の木造校舎の時代の話となる。昭和50年ぐらいか。木造校舎と緑の芝生の庭をご存知な方もずいぶん減った。今泉先生や栃窪先生田口春月先生などが出入りしていた。
 その頃の思い出と言えば、お免状式だろう。前の日に免状式の準備で紅白の幕を張った。
花屋の若い衆が設えてくれた。一休みのとき 車座になって祖母の作ったそばをすすっていた。
 師範の免状式では、振袖の御嬢様がたくさんいた。家元本部の看板前で家元と共に写真を撮っていた。その写真がお見合いに使うためだと知ったのはずっと後のことである。水色の壁に「財団法人 新藤花道学院」の大きな文字かかっていた。電車に乗っていてもよく見えた。誇らしかった。

 話が脱線した。元に戻そう。

 祖父と一緒の部屋だったのは1年間か長くとも2年間だろう。
 短い期間だったが祖父を思い出す大事な部分となっている。祖父に仕込まれたのは「整理整頓」だった。祖父は喧嘩しても遊んでいても怒る人ではなかった。何をやっても「いいぞいいぞ、もっとやれ」と言っていた。
 片付けも厳しく言われたわけでなく、片付けた方が気持ちいいよと優しく言われた。それから、細々としたもので埋まった引き出しを片付けるようになった。使いかけの消しゴム、折れた色鉛筆、汚れた画用紙…それらで本当に必要なものは何かを考えた。不要なものを捨てていくと、なんと引き出しが空っぽになった。
 自分の引き出しは不要なもので埋まっていたのかとあきれた。その後、ある一定以上汚れると一気に片付ける習性がついた。大人になっても私の場合は「片付けるイコール捨てる」である。悩んだ場合は捨てる。何もなくして引き出しのごみくずまで捨てると清々しく感じる。中途半端は許さず悩んだら捨ててきた。

 ある時捨てようとしたら「あなた、本当にそれを捨てるの」と家内に言われた。目には戸惑いの色があった。その時初めて自分は冷たい人間なのかもしれないと反省するようになった。私は捨てることで核になるものを探していたのかもしれない。しかし核はなかった。あいまいなもので埋まっていた。
 「あいまいなものは、あいまいなままでいい」と思えるようになった。ついつい白黒を付けたくなってしまう性格では、あいまいは存在し得なかった。

 家内の発言を境にあいまいなものは、あいまいなまま存在してよいと感じるようになった。世の中全員が聖人君子ではないし、全員が極悪人でもない。大方はあいまいな存在だと思う。


 お生花を極めようとしてもお生花ばかり活けているわけではない。お生花の上手と言われる人が、さりげなく活けた花もいい。肩の力の抜けた、盛花とも投げ入れともつかない、あいまいな作品にハッと心を打たれることがある。祖父も父もこの手の花が得意であった。


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