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第九十八回 擱く


 上手と言われる文章は、無駄な力が入っていない。
 このコラムを書いていてつくづく思う。
 無駄な力が入っていない文章書きとして、黒田千次などはその第一人者だろう。もう全く力が入っていない。淡々と目に映った通りに文章が進む。物語そのものが必要ないほどに言葉というものが研ぎ澄まされている。嫌味な狙いや作戦じみた構成もない。机にコップを擱くように、トンと言葉が紙の上にある。読者に感動とか期待とかをさせない。筆者も求めない。ただ文字の羅列のみで勝負している。

 すごいな、と素直に思う。言葉をどう選ぶかだけで読者の目を次に向かわせるエネルギーを生むというのは普通の人間にはできない。
思った通りにいこうと、失敗しようと心の揺れはない。隠しも開き直りもせず、ありのままをさらけ出す。
 擱くという行為は、単純だが難しい。

 古典花にも同じことがいえる。無駄な力が加わってはいけない。トンと擱くようにいける。私が二十代の頃、はじめて十人和笑会に顔を出した。桂古流で最も古い古典花研究会だ。
 今では懐かしい幹部も元気だった。幹部の一人が剣山無しでカキツバタの生花を活けていた。幹部は活け終ると、まわりに気付かれないように私を呼び寄せた。小声で「いいですか、
カキツバタのお生花は底にトンと擱くのですよ」と足元を見せてくれた。父、華慶が手直しした後だったのだろう。私に見せると誰にも気づかれぬよう、すばやく抜いた。

 その幹部は私には特別優しかった。内弟子に厳しいのはもちろんのこと、会長に対しても
「いつから桂古流はこういう花になったのですか」と言ってはばからない人だった。

 お生花は剣山無しで活けられる。内壁にあてる時も無駄な力はかけない。切り口さえ合えば無駄な力はいらない。初めから決まっていたようにスッと枝は擱かれる。
 忘れて曲を強くしたり、太く大きい枝を前にするとつい力が入ってしまう。花は擱くように活けたいものである。

 

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