活け花コラム

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2026.01.20

想い出を超えるまで

内舘牧子氏に講演頂いたのは、平成28年の埼玉県いけばな連合会の記念行事としてだった。内舘氏の柔軟な話題の展開と温厚な口調に、脚本家として確固たる地位を築かれた余裕が窺われた。
内舘氏のドラマで何か1つと言われれば「想い出にかわるまで」が思い浮かぶ。

石田純一と今井美樹が主演で愛のすれ違いを女性の視線で描いた。ダイアナロスのテーマ曲が印象的だった。内舘氏の登場から「恋愛は給湯室で起こる」が流行語となった。
内舘氏は「おもいで」という語に惹かれていたのだろう。内舘氏が横綱審議委員だった事は皆様ご存じだろうが、格闘技全般に対して愛情を持っていた。プロレスラー武藤敬司とも親交があった。ある時武藤は「思い出と喧嘩しても勝てっこねえんだよ」と語った。格闘家だけでなく人気ドラマに出演するなど華のあるレスラーだった。彼も力道山やアントニオ猪木などの伝説という「思い出」には勝てないと嘆く。

思い出になってしまった人は理想化されてしまう。現役は未完成だから勝てる訳ない、と。


しかし、それをあっさり認めて良いだろうか。
私は祖父、父に比べ知恵も技も劣る。けれど日々思い出に喧嘩を仕掛けている。何とか勝ちたい、せめて並びたい。時代も周りの人も変化した。しかし何か勝つ方法があるのではないか、政略・戦略・企画・方策・戦術を駆使し、喧嘩になる前にやるべき事で差を詰める事はできないか。肉親だから超えたい、親子だから負けられない、という心の奥の炎を絶やさずに挑む。今はまだ早いか、もう先は見えたか、と虎視眈々、チャンスを窺う。
思い出は当時を知る人々には甘く優しく包まれる時間だろうが、残された者、後を継ぐ者には高く硬い壁となる。「六世七世は立派だったけれど今のヒロシちゃんはね……」というヒソヒソ声も笑顔で流しつつ、思い出に対して牙を磨き、爪を研ぐ。
超えられる時まで、私は従順でいる。歴代家元の技術や規則を時代に合わせ、伝えることに柱を立てる。しかし、超える機会が訪れた時は真っ向から戦う覚悟も持ち合わせている。学問においても、昔のまま知識を踏襲するだけでなく全く違った物を発明したり、新たな論理を発想したりすることがある。これまでの物が全て過去の遺物となってしまう分野もある。私達はそのくらいの挑戦をせねばならない。今ある技術や知識を土台にして自由に羽ばたくことこそ、伝統芸能としてのいけばなが負う使命のような気がする。
立活であっても明治期の画と今の物では、役枝の位置や寸法も異なる。『華道桂古流傳書輯録』を編輯した六世華盛は、草稿に赤鉛筆で大きな×をいくつも付けていた。


私は当然歴代家元を心底尊敬している。しかし、全てを肯定するかは別問題である。時代、地域、人の要望に応えられているか。何より大事なのは、現在桂古流を愛する人々が花を活けて笑顔になるかどうかだ。
そのためには、大事な想い出を超えることもやぶさかではない。

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