活け花コラム
〈活け花コラム〉
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2026.03.21
学生街
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私の大学時代は令和の大学生に比べればほとんど勉強などせず、バイトしたり友人の下宿に入り浸っていた。真面目な若者よ申し訳ない。バブル世代ですが、やれる範囲で働いて働いて働いて参ります(汗)。上記のような怠惰な学生生活を江古田で過ごした。高校までは行政から、或いは親から決められた進学先だった。大学は兎にも角にも自身で手に入れた「場所」だった。この違いは大きかった。
池袋という日本屈指のターミナル駅から3つ離れただけで、こんなに生活感あふれる街並みが広がることに少々驚いた。江古田は駅を降りると小ぢんまりした、優しい空気の流れる街だった。映画「竜二」のラストシーンで流れる商店街のようだ。異質なのは日芸の中だった。今回は学生街がテーマなので中の話は割愛する。学生街で友人と話しながら食べたり、飲んだりした記憶はモノクロームのように色がかすんでいる。掛けがえのない、2度と戻れない街だ。数年前に用があって行くと、すっかり様変わりしていた。令和らしい瀟洒な建物が並び、1980年代後半に幅を利かせた「大学生の食欲を直撃する油ぎった店」は姿を消していた。その手の店に現代の大学生は行かないのだろうか。
最も多く通ったのは大盛軒だ。「鉄板麺」というラーメンと鉄板焼きのセットメニューが1番人気だった。鉄板焼きは、直径15cmの丸型で1cmくらいの深さだ。キャベツの千切りの上に豚バラが炒めて載っている。一番上にかかっているタレの原料は何だったのだろう。玉ネギとニンニクとレモンだろうか。焦げ始めたキャベツと豚バラとタレをかき混ぜてご飯と共にかきこむ。胃がめっきり弱くなった58歳でも、食べてみたいと思い出す。ラーメンは小丼にあっさり魚介系出汁で醬油味に仕上げてある。濃い味の鉄板焼きと薄味の麺の組み合わせだった。美味しいのも嬉しかったが出来上がりの早いのがありがたかった。
大盛軒とともに通ったのは「まつば」という大衆食堂だ。橋田壽賀子のドラマに出てきそうな、家族経営の店だった。友人Tがとても好きで「どこにする?」と尋ねると「まつばにしようよ」と応えた。私は構わないのだが、病弱だったTは体質に合わなかったらしい。火曜とかに食べるときまって体調を崩し、週末まで休んだ。私は心配になり次の時に「どこにする?」と尋ねた。するとTは「まつばで」と言った。体質に合わなくても舌には合ったらしい。
日芸の向かいにあったスパゲティ屋は、何という店名か忘れてしまった。この店は「友人Fのコモンセンス事件」として私たちの間で有名になった。昼食時に仲間で窓際の席に座ると貼り紙がしてあり「Don’t open the window. If you have a common sense.」と記してあった。
私が「俺、常識ないんだ」と言いながら開けようとすると、一人の友人が「オイFは英語苦手だからcommon sense知らないんじゃないか」と言った。
皆「いやいや、一応受験で合格しているし」と言っているうちにFが階段を登って店に来た。私がFに訳すように言うと「バカにするな。窓を開けるなだろう」と答えた。私が続きを促すと「If you have a…アレ?common senseって何だっけ?」と狙い通りのコメントが得られた。
私が「常識だよ」と言うとFは「教えてくれても良いだろ!」と怒った。私が知っていて当たり前だよ、という意味で「常識だよ」と言ったと勘違いしたらしい。私が「common senseは常識なの!」と言い返すと、周りの連中は頭を抱え「ここまで酷いとは」とショックを受けていた。
坂道を下がる途中に薬局があった。完成した作品写真をはがす時、剥離剤を印画紙と台紙の間に注射器を差し込み薬剤を慎重に注ぐ。次の実習で注射器が必要だったので買いに行った。店に入ると女主人がジロッと睨み「何に使うの」と怪訝な表情で尋ねた。私は写真学科の実習で使うのだと必死で説明し、学生証まで見せた。女主人は仕方なさそうに奥の棚から針付きの注射器を持ってきた。そして私に渡す時に「変なことに使うんじゃないよ」と念を押した。
悪性街にはいつも会話が溢れていた。大人になりかけだった頃を過ごした街がいつまでも楽しく賑やかであるように。