活け花コラム

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2026.09.01

新藤華盛でない時の私

日々の時間の中で私が家元として行動している比率は一体どのくらいだろう。通常のお稽古、研究会、展覧会、それに付随した諸会議や書類作成などを含めると6割ほどだろうか。一日の実働時間を15時間とすれば10時間、3分の2は家元・新藤華盛として行動している。お魚の干物で言えば、食べられる所が新藤華盛、骨・頭・尻尾がそれ以外の私となる。まるで捨てる部分の様だが、それはそれで滋味があるのではないか。私は新藤華盛でない時は、何をしているのだろう。                                

朝起きると携帯電話を探しFacebookを開く。大体4時半から5時くらいだ。既にU氏が朝一コメントを載せている。U氏は既に早朝ウォーキングに出掛けている。その日の天気、気温が記載されて、池というには立派過ぎる水辺の早朝画像が添付されている。時には穂が出ているススキや捕まえたクワガタの画像も写っている。自然が大好きな少年の様だ。彼にとっては「職人U氏」でない時間が早朝であり、Facebookを使い満喫している。         

U氏のFacebookに返事をして、布団から出て朝の用事を始める。昔から家内は夜担当、私は朝担当になっている。タイマーで炊かれているご飯を仏壇に供える。ネコが甘えに来るので撫でたりブラシをかけたりする。そんな他愛もない事をして洗顔を済ますと6時になる。次男の朝の手伝いをしながら、朝の神棚と仏壇のお勤めを済ませる。月水金はキチンとすると9時半くらい、火木土日は手を合わせるだけで許してもらうと7時半くらいに済む。そこから教室が始まるまでは体を動かす時間になる。雨天や寒暖が厳しい時はジムに行く。           

最近気になっている人物がいる。小説家の西加奈子だ。彼女はカナダに住んでいる時にブラジリアン柔術に出合った。西は格闘技好きではあった。このエピソードに私は内心「だったらブラジルで柔術やればいいのに。日本で柔道やればいいのに」と感じたが、とにかく西はカナダで柔術を必死になって稽古した。彼女は柔術を通して「私はこんなにも何もできない」と思えた事がすごく大きかったと語る。しばらくして西に乳がんが見つかる。西は「私は何物でもないし、すごくか弱い」という事を自覚した。直木賞作家と言う肩書もブラジリアン柔術や乳がんに対しては全く意味をなさない。何物でもない「素」の自身と向かい合った時、西は新しい世界を切り拓く。                 

このコラムのテーマは、実は長年塩漬けにされてきた。書きたいのに途中からどうすれば形になるのかが見えず、結論まで進めなかった。忙しさにかまけているうちに忘れてしまった。消防団で応急手当指導員の資格を取得し、AEDを使用した心肺蘇生法の普及活動をしているうちに、家元ではない部分が自身にあることに気付いた。ジムもいつの間にか知り合いが増えた。家元と言う立場は伝えていない。周りの皆様も尋ねずに「現役で働いているらしい」とご推測してくれている。その部分も加えると何とかコラムになりそうだと思い、再び書き始めている。

私が体を動かす目的は西加奈子と同じく「肩書ない自身に対する挑戦」だ。具体的に自身の性能を知りたい。毎日何キロ移動できるのか。どのくらいの時間で、どれほど汗が出て、呼吸も大変だったのか、単純に興味がある。機具としての自身はどれほどの調子なのか知りたい。まだまだ使えるか、修理が必要か、部品交換がしないと使えないのか。体を動かすには点検の意味もある。

桂古流の生徒様も夫々の肩書をお持ちだろう。それを忘れて「何者でもない私」として活け花に没頭する事は代えがたい時間だと思う。

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