活け花コラム

〈活け花コラム〉

2026.07.01

藝術の奥にある平和

私は現代の日本に生まれ、仕事に就き、家庭を持てた事が幸せに感じる。地震も多く、産業が衰退しているとは言え、日本は戦争をしない国だからだ。過去の過ちを悔い、軍隊を持たず、非核三原則を掲げている唯一の国家だと誇りがある。自衛隊は災害支援を重点的に活動し、警察は犯罪抑止に奮闘している。彼らが使用するのは「武器」ではなく「平和器」であるはずだ。

コンテンポラリーアートを理解する上で忘れてはないのは、第2次世界大戦の存在だ。戦争に向かう国家、力こそ是という帝国主義。それに反発する形でダダもシュルレアリスムもバウハウスもデスティルも第1次世界大戦と第2次世界大戦の間で花開く。シュルレアリスムが最も左傾化したとされるが、戦争をされたら美術活動が行えなくなる。何でこの時代に美術活動をするのか、何と生きづらい時代なのかと、人々は口に出したくても言えない状況だった。帝国主義の恐ろしさは全員が同じ方向に顔を向けることを強要する事だ。全員が同じ方向を向いていたら、死角からの危険を知らせる人がいない。たとえ居ても聞く耳を持たない。美術活動や言論を著しく弾圧する政権に対し、反発するアーティストを左傾化と評すには、いささか酷に感じる。ナチスが勢力を拡大させた当時のヨーロッパではシュルレアリスムの活動が困難となり、「その担い手」はアメリカに亡命する。アメリカはユダヤ人の受け入れも行う。

そして終戦。敗戦の秋には早くも勅使河原蒼風、小原豊雲が展覧会を始める。この展覧会には多くの客が詰め掛けた。大戦の終わった喜びもある。しかし、大衆の気持ちとしては、大戦を食い止められず、広島長崎に原爆を投下され、結局敗戦し、GHQに占領され…と踏んだり蹴ったりの目に遭って、単に喜びだけではないだろう。『こんな結果になって、だから言わんこっちゃない』という社会の責任者への憤懣、忸怩たる想いも含まれていたはずだ。だから平和なのだ。平和を願うのだ。

昭和初期に起きた新興いけばな宣言は確かに異素材を使い、型より造形に重きを置く内容になっている。しかし根底に今までのいけばな思想に流れる『先代のままを継いでいれば良い』という考えに対する危機感があったのではないか。このままでは大戦に向かってしまうのを止められないという若者たちの叫びだとしたら…戦中生きたくても生きることが許されなかった人々を目の前にしたら…

現代いけばなやアヴァンギャルド運動が今一つ理解できないのは、その思想とは別に「今度こそ芸術で平和を」という思いが流れていたのではないか。シュルレアリスムの定義は、無意識と言うか半覚醒というか頭がボンヤリしている状態で浮かんだ着想を作品にしよう、という極めて実験的しかし魅力的なものだった。そこに「戦争」という異常な時間、空間に巻き込まれたため複雑怪奇な作風になっていく。「戦争に活動をゆがめられた芸術」がシュルレアリスムの正体ではないか。

そのシュルレアリスムに対する反省や反発が次の世代に移る。ポップアートやサイケデリックアートは、シュルレアリスムで満足できなかった人々の心を捉えていく。ウォーホールやジョンレノンの人気は「芸術の奥にある平和」への強い力が彼らをマグマのように突き上げた。

ダリと蒼風に親交があり、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に蒼風が描かれている。その下の世代が勅使河原宏、北条明直、重森弘淹、工藤昌伸、工藤和彦、下田尚利、がおり、更に下の世代が8人の会の千羽理芳、粕谷明弘、吉村隆、長井理一、立原清童、大坪光泉、早川研一、澤井剛となる。彼らが何故、集団になったのか分からなかった。そこにあるのは「上の世代が出来なかった芸術の奥にある平和」への挑戦だ。

今、日本は平和だ。しかし漏水で足元が濡れるような、気味の悪い方向へ世界が向き始めている。

多くの犠牲の上にある平和を、今度こそ手放さぬ事が私達に与えられた使命だ。

- CONTACT -お問い合わせ

桂古流いけばなの体験・入会など
お気軽にお問い合わせください。