活け花コラム

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2026.05.04

いけばなコラム 自分の脚で、立つ

百貨店で育ったからだろうか、流行・ファッションが嫌いではない。生徒様にも事あるごとに「ウィンドウショッピングして、作品に流行を取り入れた方が良いです」と話す。流行語も気になる。言い辛い言葉でエスディージーズとかサステナブル等も、できればお稽古に取り入れてみたい。「うわあ桂古流ってクールね」と言われてみたい。

こういう時、冷静なのは白龍だ。「ねえ、こんなのってどうかな」と私がワクワクして口にする度「流行に乗らなくても」と窘められる。かつては私が言っていた事なのに、いつの間にか言われる側になってしまった。他人の言い出したことを鵜吞みにしないで、自身の考えで事を運ぶのは意外と難しい。

白龍や玉兎が幼い時に電車の中では「座るのは周りの人が座ってからだよ」と言い聞かせた。どうして座らないのか尋ねられると「パパには短いけれど丈夫な脚がある」と応えた。実は祖父6世華盛の受け売りだ。私が祖父と電車に乗っている時、若い人が座っていても祖父は立っていた。私がどうして座らないのか尋ねると「おじいちゃまには丈夫な脚があるからね」と微笑んだ。祖父はまた「自分の脚で立って、自分の脚で上がりなさい。仕事も勉強も一歩一歩積み上げていけば身に付くよ」とも言っていた。

上記の言葉を思い出し、最近は研究会の資料を貼り合わせて作成している私には耳が痛い。

コラムは、まず紙に書くことから始める。万年筆で書いたりシャープペンシルに替えたり、その時の気分だ。下書きが出来上がると白龍に紙で校正してもらう。白龍も紙が良いらしい。データにする際、もう一度自身で修正する。2度手間だが、ペンと紙を使うことで「字を書く」という行為がなくならないよう心掛けている。電話も番号を覚えている相手はプッシュホンで掛けてしまう。私の家政の先生は家内なので、洗濯機や炊飯器など家内が普通に使っている機械は使える。しかし、食後に家内と一緒にお皿を洗うのが習慣なので、食洗器は使用方法がまず分からない。車のナビゲーションは私の方が道順に詳しいので、しばしば喧嘩している。応急手当の指導員でもあるので機会があると、ブラッシュアップしている。

私は今更できない運動ができるようになろうとは思わない。フリークライミングを始めようとか、ウィングスーツで空を飛びたいと願っても無理だろう(当然と言えば当然だが)。かといってジッとしていられる性分ではない。せめて今できている事は、もう少し長く続けられればと思う。ゆっくりで良いから走られるままでいたいし、人と話したり笑ったりしていたい。何よりこの手でいけばなを活けていたい。そのためには全てを機械任せにしない方が良いと考えた。元来身体を使うのが好きなのだと思う。試行錯誤しながら組み立てたり、考えながら作業するのが性に合っている。

桂古流の皆様も、自身の手で、自身の力で作り上げたものは、人一倍愛着がわくらしい。母の日の花を活けた生徒さんが、「とても上手に作ることができたので、母の日には別にプレゼントを買ってあげて、この花は私の部屋に飾ります。」などというエピソードが生まれる。達成感や完成までの過程がいけばなの醍醐味でもある。

お稽古の花は「生徒様の作品」でもあるので極力手を出さずに自身で直してもらうようにしている。

産業の発展は「便利なことは豊かな社会につながる」という共通スローガンの下でみんな頑張ってきた。何もない時代は喜ばれたが、行き過ぎると過保護な社会になってしまう。100できる手を持った人が便利な生活に慣れると90できる手になってしまい、そのまま放っておくと80できる手になってしまう。全部が全部できる人はいない。気になるのは新型コロナウイルス感染症対策が始まる前と後では、明らかに実体験する事が減ってしまった。外に出る・目で見る・香りを嗅ぐ・手作業をする・人と触れ合う。私達の身体機能を使う機会が減ったままの生活に慣れてしまうのがとても怖い。

だからこそ、活け花が活躍すべきでないか。活け花を習う手は指先を使う。頭を使う。時に人と話し、花や枝について語り合う。教室に行き、時に座り、時に立って、実際に活ける。見る・嗅ぐ・触る。私達を本当に豊かにする行為は活け花に溢れている。

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