活け花コラム
〈活け花コラム〉
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2026.08.01
すさみ力
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白龍が造った言葉が今回のテーマである。「すさみぢから」と読む。白龍が飲みに誘ってくれた事がある。こだわりの飲物が揃えられ、大人の社交場と言ったバーに入った。お酒は確かに美味しかった。しかし私は隣の客が気になって仕方なかった。母娘らしき2人が飲んでいた。何か将来の事で意見が喰い違っているらしかった。徐々に険悪なムードが漂ってきた。すると私の「すさみレーダー」が働き、2人の話に聞き耳を立てていた。とうとう母親の堪忍袋の緒が切れて「じゃあ、私が死んでも良いのね!」と怒鳴った。店は、すさんだ重苦しい空気に支配された。私は白龍に「これは寸劇?いつもこういうサービスをする店なの?」とこっそり尋ねた。白龍に「ここでは今まで一度もこんな事ありませんでしたし、劇ではありません。貴方のすさみ力が呼び寄せたんです。」と言われた。
それ以来、すさみ力と言う言葉が定着した。すさみ力は白龍がいる時、特に発揮されるようになった。喫茶店で何層にも重ねられたコップを、店員が何かの拍子に全て割った。カレーライスを注文した時、店員さんの手がカレーにかかったらしく、アチッと言って投げ置かれた(撥ねなくて良かった)。別の店ではオーナーシェフと奥様が夫婦喧嘩をはじめ、奥様がカウンターと厨房を仕切るカーテンを閉めてしまう。外国人のオーナーシェフが「アケテー、アケテー」と叫ぶ。その声を聴きながらメイン料理を食べる。
確かに私の周りには、すさんだトラブルが多く発生している。食事をしていなくても「すさみ力」を発揮してしまう事がある。入院している時、私は面会謝絶で、家族に会えなかった。仕方なしに一人でいると、目の前のベッドには患者の愛人らしき女性が端に座り、リンゴを剥きながら「ねえ、パパ。パパが治って早くうちの店に来てくれないと困っちゃうの」と言っていた。後で聞くと重篤な患者は知人に会う事で、生きる気力を保てるらしい。
退院し、年一回検診に通っている。診察が終わり、家内が会計をしている間、外のテラスで待っていた。すると債務を抱えているらしい患者が2人の強面な男性に挟まれていた。「良いよな、綺麗なベッドで3度ご飯食べられて。でもな、俺たちはその間もずっと叱られていたんだ。分かってくれるよな」口調は優しいが許してくれそうもない眼差しだった。
上記2つの病院エピソードは、まるで「ナニワ金融道」のような場面だ。これも私が呼び寄せてしまったのか。
「すさみ」は時にリアリズムだ。「全てがハッピーエンドでいくわけがない」と思うし、「仮にハッピーエンドの後、主人公はとても苦労するのではないだろうか」と推察する。一般人が上流階級の生活に簡単に溶け込めるだろうか。身分格差で生まれる歪みが「すさみ」を呼ぶことが多い。名家のしきたり、年中行事、所作、言葉遣い、身嗜みなど、ハッピーエンドになればなるほど、主人公は鵜の目鷹の目で見られるのだ。茶の湯を習っている時は男の先生だったから、身さばきより「すさみ」にならないように教えて頂いた。訪問時間について、お土産の選び方についてなど、「君が家元になった時に陰口を叩かれないように」と気遣って下さった。「すさみ」はどの時代でもどこの国でもある。忠臣蔵まで遡らなくても、『ハリーポッター』や『花より男子』、韓流ドラマの定番などで「すさみ」は存在する。日本は随分穏やかになったのではないか。姑嫁のすさみ話は、あまり聞かなくなった。
私がいけばな以外の話をするのは、生徒様が「すさみ」に巻き込まれず、穏やかな日々を送る一助となればとの願いがある。